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お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え(2021〜25年) 2024年お会式法話要旨 2024年春季彼岸会法話 2023年お会式法話要旨 日蓮宗新潟県西部宗務所所報『佛心伝心』のシリーズ「法の燈」より、住職が担当した文章を若干書き換えたもの 第75号:「お題目修行のすすめ〜現世浄土化計画へ〜」 2023年春季彼岸会一言法話 2022年春季彼岸会一言法話 教え(2016〜20年) 教え(2015年) 教え(2014年) 教え(2013年) 教え(2012年) 教え(2011年) 教え(2010年) 教え(2009年) 教え(2008年) 教え(2007年) 教え(2006年) 教え(2006年以前) 寺泊のお祖師さま 法福寺住職でございます。 秋のお彼岸では、一龍斎貞鏡さんによる講談がとても好評でした。またお願いしたいところです。 高いところに座ってみなさんにお話を聞いて頂く…この姿は法話も同じです。それもそのはず。講談…実は落語もそうなのですが…、その起源はこうした僧侶の法話です。 とは申せ、大抵こういう話しは一方的なものが多いようです。 どういうことかと言いますと、例えば、ヒンドゥー教。インドの宗教ですが、この宗教では、お釈迦様は、ヒンドゥー教の神様ヴィシュヌ神の生まれ変わり、ということになっています。一方、佛教側ではそのようなことは認めていません。 また、明治以前の日本では、「神様の本体は仏さま」という考え方が広く受け入れられていました。例えば八幡様。一般に八幡様は阿弥陀様の化身と言われているようですが、日蓮聖人は「八幡様の本体はお釈迦様」としました。 みなさまご承知の、私からすればマゴのウチ、角田山妙光寺には、「八幡様と日蓮聖人が岩にお題目を書いた」という「岩題目」が伝えられています。法福寺ではしておりませんが、妙光寺では八幡様を勧請しております。これは、妙光寺だけの話しではありません。多くの日蓮宗寺院で勧請されています。 さらに申せば、お曼荼羅に「八幡大菩薩」と書かれているほどです。ただ、八幡様に佛教の「菩薩」をつけて「八幡大菩薩」としたのは日蓮聖人ではありません。8世紀の朝廷です。 このように、古くから「神様の本体は仏さま」という考え方がありました。 当然、神様…つまり神社の側…からすれば面白くありません。実際、鎌倉時代には「仏さまは神様の化身」という考え方も生まれました。 お曼荼羅では、八幡様や天照大神はお題目の下に書かれています。平田篤胤が問題にしたことが、戦前の日本で蒸し返されました。 このように「AはBだ」と言ったときに、「いやいや、そうじゃないよ」という話しはよくあることです。 ところが、この「講談と落語は法話が起源説」は僧侶の側が言っているのはありません。むしろ、貞鏡さんがおっしゃって下さったとおり、講談や落語の側から、おっしゃっているのです。 ちなみに、講談社という大手出版社がありますが、これは、講談の本を売ってあれだけの大手になったそうです。 話を戻しますが、では、法話の起源はどこにあるのでしょうか。 そう、お釈迦様です。お釈迦様がお弟子さんたちにお話をしたことが起源です。 そうしているうちに、文字に残すようになりました。すなわち、お経が出来たのです。 すると、お経を「読む」ようになります。先ほど、一緒に読みました。 また、「誦する(唱える)」ようにもなります。 また、書き写することでより弘められるようにもなります。「書写(写経)」です。 さらにはその内容を「解説」する人が現れます。「かいせつ」と書いて「げせつ」と読みます。今、私がしているのは「解説の行」です。 不遜な言い方かも知れませんが、お経がここにあっても、置いてあるだけでは私たちが救われることはありません。「お経に意味がある」と信じて頂いて、読 誦 解説 書写することで、はじめて私たちは救われるのです。これを「受持」と言います。 「お釈迦様がいらっしゃらない現代では、受持 読 誦 解説 書写が大事だ」とお経に書いてあります。 なので、私たちは、お参りと言えば読誦し、機会があれば写経会に参加し、私は解説をするのですが、その大前提には「受持」があります。ということで、この五つの中のどれが一番大切か、と言えば、「受持」と言うことになります。そもそも、意味があると信じなければ、読 誦 解説 書写しない(できない)からです。 受持=信じる+そのように生活を送る 「受持」を体現されたのが日蓮聖人です。 日蓮聖人は、「勧持品に云く、諸の無智の人有つて悪口罵詈(あつくめり)す等云云。日蓮この経文に当れり。汝等なんぞこの経文に入らざる。及加刀杖者等と云云。日蓮はこの経文を読めり。汝等なんぞこの経文を読まざる。常在大衆中欲毀我等過(じようざいだいしゆうちゆうよつきがとうか)等云云。向国王大臣婆羅門居士(こうこくおうだいじんばらもんこじ)等云云。悪口而顰蹙数数見擯出(あつくにびんじゆくさくさくけんひんずい)。数数とは度々なり。日蓮擯出衆度(ひんずいたびたび)。流罪は二度なり。」と、…長くなって恐縮ですが…おっしゃっております。 現代文にすると…、 「法華経の勧持品第十三には「諸の無智の人が、正法を修行する者に悪口を言ったり非難したりする」とある。日蓮はあたかもこの経文のように侮蔑されている。それならば非難する人々こそこの経文の「無智の人」なのではないか。また同じく勧持品に「正法の修行者に刀で斬りつけ、杖で打つ者がある」とある。日蓮はこの経文を身をもって体験した。非難し迫害する人々は、この経文の意味がわからないのだろうか。 (現代文中断) …刀で斬りかかれる、まさに小松原法難です。みなさんの歌題目に 「難は東条 小松原 眉間に受けし 傷も三寸」 とあるのは、この小松原法難のことを歌っております。 (現代文再開) また勧持品には「常に人々の前で正法の修行者を厳しく非難しようとする」「国王や大臣、婆羅門居士などの権勢のある人々に向かって、正法の修行者を批判した言動を行なう」「悪口・侮蔑を受け正法の修行者は度々追放されたり流罪されたりする」などとある。この経文に「度々」とあるのは度が重なることである。日蓮は所を追われること数度におよび、流罪も伊豆配流につづき二度目である。」といった感じです。 「佛教と言えば南無阿弥陀仏」という流行に、「そうじゃない」と明確におっしゃった日蓮聖人。 「お経に書いてあるとおりのことが、いま私日蓮の身に起こっているではないか」というお気持ちだったのでしょう。なので、日蓮聖人は佐渡に流されても、臆することはなかったのです。 すなわち、この寺泊のあの祖師堂に七日間いらっしゃいましたが、その時のお気持ちは「ああ、なんでこんな目に遭っちゃうんだろう」「みんなのために言っているのになぁ」という感じではなく、むしろ、法華経を受持している証拠となる体験からくる法華経の行者としての自覚があったのです。 そう、この御遺文は何かと申せば、私たちの祖師堂が建つところで書かれた、『寺泊御書』です。 来週27日は祖師堂でお会式もございますのでお参りくださいますようお願いし、解説の行とさせて頂きます。 令和6(2026)年お会式法話より
生き方 (サイトをご覧のみなさまへ。いつもありがとうございます。今回は、当日紹介した画像や音声が載せられないこともあり、ここだけをご覧になっても分かりにくい内容となっております。ご容赦下さい。) 法福寺住職でございます。 先日、指定の口座への振込を促す詐欺メールが法福寺に届きました。 ふと、この口座が実在するか気になったので、試してみました。すると…有効でした。振り込もうと思えば振り込める口座です。 この口座が凍結されれば被害を防げるのではないかと思い立ち、新潟県警へ情報提供しました。 勝手に一件落着と思っていた数日後、与板警察署刑事課のおまわりさんから電話が来ます。曰く、 ・最近は、電話で直接連絡を取るよりも、メールやLINE、携帯のショートメッセージなど、文面で送ってくるものが多い。 ・10億円くれるとか、ウイルスにパソコンが感染したから、というもの。 ・寺泊も被害多い。 ・是非、みなさんにも知らせてほしい。 …これを受けて、今日の法話となりました。 住職の携帯に来たメールをご覧下さい。 「応募者全員無料で貰えます \10,000,000,000!」…って、すぐにはいくらか分かりません。100億円でしょうか。 「この電話○○さんので良かったですか?」…つい「違いますよ」と教えたくなりますが、ぐっと我慢です。 「【要確認】費用が発生します。必ずご確認下さい」…と、言われてもURLをクリックしてはいけません。 法福寺に来たメールは、まだ詐欺と分かりやすい。 メールA…どうして他地区のインフラ企業から連絡が来るのでしょうか。 メールB…常体と敬体がごっちゃになっています。また、物流会社に登録した内容の確認を促すメールだったはずが、いつのまにか通販会社からのメールという形態になってしまっています。 あくまでも住職の感想ですが、銀行や通販を語ることが多いようです。それらを利用されない方はここまでに関しては一安心ですが…。 新潟県警からの注意喚起を紹介します。 ・2年前ですが、近隣の市内で被害が発生したこと ・今年の1月にはオレオレ詐欺の予兆電話があったこと ・ほんの数日前にあった還付金詐欺のこと などが紹介されております。 ここで、某所で手に入れた、実際に詐欺師がだましている最中の音声をお聞き頂きます。 いかがでしょうか。なかなかの演技力です。だまされてしまうのも無理はありません。 ちなみに、ちょっとおかしいところがありましたが気づかれましたでしょうか。 そう、「フリーダイヤル」といっておきながら「0120-」ではないところです。こういうところに気づけば大丈夫なのかも知れません。 とは申せ、普段は「これは詐欺電話だ」と思って電話に出たりしません。実際に詐欺電話が来たとき気づくことができるか、私には自信がありません。 そもそも、ご自身のお子さんやお孫さんに危険が迫っていると思えば、「だまされてもいいから」「詐欺でも構わないから」とお金を送ってしまうも方もいるでしょう。児孫思いの、とても素晴らしい方です。 …しかし、そういう方がだまされてしまうのです。 誰でもだまされてしまう可能性がある。これが今日のポイントです。 ・還付金手続きはATMではできないこと ・お金の話が出たら、一回電話を切って、家族や警察に…私(住職)でもいいので…相談すること ・防犯機能付き電話や留守番電話設定にすること が有効だそうです。 お檀家さんに電話すると結構な割合で、「この電話は、振り込め詐欺防止のため録音されます」と機械音が流れます。良いことです。 一度だまされると、カモリストに載って、また被害に遭ってしまうかも知れません。 例えば、「被害の救済に、だまされたお金の一部を給付します」などと言いつつ、それには「手付金」とか「証拠金」とかがいると、警察や役所をかたって電話が来たらどうしましょう。 ちょっとずれるかも知れませんが、詐欺はハガキで来ることもあります。架空請求はがきです。これに連絡してはいけないのはここまでと同じです。 ただ、厄介なのが、詐欺師が裁判所へウソの訴えを実際に起こし、本物の呼出状が送られてくることがあるそうです。これは無視をしてしまうと本物の裁判所が本物の判決を出して、ないはず借金などがあったことなり、お金を払わないといけなくなってしまいます。 先ほど申したように、家族や警察に相談することで被害を防ぐことができます。 是非、お気をつけ頂きたいところです。 先ほどの新潟県警への口座情報提供のことに戻ります。 おまわりさんがおっしゃるには、「実際に被害に遭ったわけではないので、この情報だけでは口座凍結はできない。が、関係の金融機関に情報提供はする。」。 これを受けて、「では、10円でも振り込んでおけば良かったですね」と冗談を言いました。笑って下さいましたが、最後ちゃんと、「わざとしたことは『被害』とは言えない」としっかり明示され、釘を刺されました。 …「知らせてほしい」とはおっしゃっていましたが、どの程度話題にして良いものか悩みました。同時に、ネットにアップしても良いものか、についても。 そこで、問い合わせることにしました。具体的には ・与板警察署刑事課から電話が来たということ ・その電話での内容 この二点を公にして良いか、ということです。 その回答は…、「表現の自由があるから、自由に使ってもらって良い。むしろ、警察から規制することはできない。」とのことです。 短い時間でしたが、お話しを伺い、「順法精神」といえば良いのでしょうか、裁量の範囲で勝手に言うのではなく、「常に法律を意識し、それに従って行動している」、「法律に精通している」とひしひしと感じられ、とても信用できました。 ただ、「よければ見せてほしい」ともおっしゃっていました。事前にご覧頂くつもりだったのですが、間に合わなかったので、今日お話しした後、サイトにアップする前にご覧頂く予定です。 さて、このおまわりさんの姿は、佛教的にはどう見えるのでしょうか。日蓮聖人は 「御みやづかいを法華経とをぼしめせ。」(檀越某御返事) とおおせです。与えられた仕事を全うすることが、法華経修行になるということです。 お会式でもご紹介致しました。 「諸の所説の法、其の義趣に随って、皆な実相と相(あい)違背せず。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆な正法に順ぜん。」と法華経には書いてあります(法師功徳品第十九)。 娑婆世界のいろいろなことのあるべき姿(望ましい形)というものは、佛教の教えと違うことがない、といえましょう。 即ち、おまわりさんが私たちのために日々頑張って下さっていることは、間違いなく仏さまも喜んで下さる行為だ、ということです。 私たちもこのおまわりさんのように、与えられた職務…職場だけでなく家庭でも…を全うすべく精進したいものです。 このことをお持ち帰り頂き、また、明日からのお題目信仰にご精進頂きますよう、そしてくれぐれもだまされませんようお願いし、お彼岸の法話とさせて頂きます。 ありがとうございました。 令和6(2024)年春季彼岸会法話より
感謝 法福寺住職でございます。 4年ぶりに、こうして高座からお話しできるようになりました。コロナ前は当たり前と思っていたことです。そのころは、正直、聞いて下さるみなさんも大変でしょうが、お話しを考えることもなかなか容易ではない、と思っておりました。 しかし、いざお話しできなくなると、「いつも通りできる幸せ」というのがあったのだと気づかされます。 30年前、THE 虎舞竜は『ロード』で「何でもないようなことが幸せだったと思う」と歌いました。まさに、これです。 とは申せ、失われたものを悔いるのではなく、今目の前にある幸せに気づきたいものです。 コロナ以降の、この4年弱を振り返ります。サイトでご覧のみなさまは、できごとのページ できごと20 できごと21 できごと22 できごと23 をご覧下さい。 コロナ禍にあって思い通りにならないこともありましたが、法福寺を護持するという大切な使命の一つは続けることができました。これもみなさんのお陰です。感謝致しております。 感謝と言えば、日蓮聖人は、どなたかは分かりませんが白米一俵・毛芋一俵・河海苔一篭を送って下さった方に対し、「白米一俵・けいもひとたわら・こふのりひとかご、御つかいをもつてわざわざをくられて候」と、感謝のお手紙を書いていらっしゃいます(「事理供養御書」)。 この中で、日蓮聖人は、 「いのちと申物は一切の財の中に第一の財なり。」とおおせです。 これはもう、一切の解説が不要です。当たり前すぎることですが、この当たり前が守られないのが娑婆、ということに、残念ながらなりましょう。 いまだにウクライナもガザも落ち着く様子がありません(ガザはちょっぴり良い兆しが今朝報道されたようですが)。 残念ながら私たちができることはあまりないかもしれませんが、せめて身の回りは、怒ったり、憎んだりしないようにするところから始めたいものです。 そうすることは、お釈迦様の意に沿うことです。 「諸の所説の法、其の義趣に随って、皆な実相と相(あい)違背せず。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆な正法に順ぜん。」(法師功徳品第十九) 娑婆世界のいろいろなことのあるべき姿というものは、佛教の教えと違うことがない、といえましょう。 このことをお持ち帰り頂き、また、明日からのお題目信仰にご精進頂きますようお願いし、お会式の法話とさせて頂きます。 令和5(2023)年お会式法話より
お題目修行のすすめ〜現世浄土化計画へ〜 …与謝野晶子… 筆(ふで)硯(すずり) 煙草(たばこ)を子等(こら)は 棺(かん)に入(い)る 名のりがたかり 我れを愛(め)できと 君死(きみし)にたまふことなかれ…、で有名な与謝野晶子が、夫鉄幹との永別での想いを詠んだ短歌です。 子どもたちが、筆や硯など故人の愛用品をお棺へ納める。「鉄幹の大切なものを納めるならば、最も納めるべきは私です」と言いたいが言えない…、そんな心情のようです(結局は作品にして吐露してしまうのですが…)。 …現世の生き方… 与謝野夫妻の幸せな夫婦生活が垣間見える歌ですが、みなさまはご自身がお棺に入るとき、遺族がどのように振る舞うか、考えたことはございますか。 日蓮聖人は、 先(まづ)臨終の事を習(なら)ふて 後(のち)に他事(たじ)を習ふべし とおっしゃっております(『妙法尼御前御返事』)。 私たち現代人は日々忙しく、つい目先のことに気を取られがちです。そうはせず、先ず人生のゴール地点をしっかり見据えてから日々のことに対処しましょう、ということです。 …米津玄師… シンガーソングライターの米津玄師は、ABEMA(アベマ)TVの『有田哲平の引退TV』を「すごい」と評価しています。その理由に、 死から逆算していって、「今なぜ生きているか」を深掘りしていく 死が浮かんでいることで、より「生きることは何か」「どうやって生きているのか」を浮き彫りにする。緊張感が生まれる を挙げています。 先の日蓮聖人のお言葉に通じるところがありませんでしょうか。 …お題目修行… 臨終後に目指すは、お釈迦様のいらっしゃる霊山浄土(りょうぜんじょうど)です。その様子はお自我偈に書かれています。 我此土安穏…散仏及大衆 (穏やかで、庭や建物は宝で飾られ、樹木は美しく、花は咲いて果物がなり、人々は楽しく過ごしている。音楽が奏でられ、人々は踊り、空から花が降ってくる(趣意)) このような霊山浄土へ行くには、お題目修行が必須です(なお、私たちは天国へは行かれません。なぜ行かれないのか。それはまたの機会に…)。 ちなみに、次も晶子の歌です。 かまくらに 旅寝す法華 妙法の 太鼓も波も みな秋のおと 鎌倉に響いていたお題目と太鼓の音を新潟にも響かせましょう。 …現世浄土化計画… 「毎日唱えています」という方、誠にありがたい限りです。実は、ここでいう「お題目修行」とは、 ・「南無妙法蓮華経」と唱える ・この世を霊山浄土にする という二つの意味を持ちます。後者はどういうことなのか、それも、誌面の都合でまたの機会に…。 参考文献など 与謝野晶子1942『白桜集』改造社(国立国会図書館デジタルコレクション 参照 2023-04-24) 与謝野光・新間進一1967『晶子詩歌集』春秋社(国立国会図書館デジタルコレクション 参照 2023-04-24)(リンク先の閲覧には、国立国会図書館デジタルコレクションでの利用者登録が必要です)。 Wikipedia「与謝野鉄幹」「与謝野晶子」 所報『佛心伝心』第75号より
平和を求めて コロナ禍でも、こうして一緒にお参りできることはありがたい限りです。 プーチン大統領に逮捕状が出されました。この後どうなるか、全くわかりませんが、これ以上戦争で苦しむ人が出ないよう、祈るばかりです。 その点、寺報『石蕗(つわぶき)』にここのところ連続して戦争体験を掲載できていることは、誠にありがいことです。執筆くださった方に改めて感謝を申し上げると共に、みなさまからも是非とも寄稿をお願い申し上げます。 さて、日蓮聖人は「釈尊出世の本懐は人の振る舞いにてそうらいけるぞ。」(『崇峻天皇御書』)と仰っております。 お経をあげること、おまいりすることは大事です。これと並行して、怒らない、必要以上に欲しがらない・命を奪わない、困っている人がいたら助けるなど、人としてあるべき姿を体現することもまた、大事な仏道修行なのだ、と仰っております。 さきほどの戦争を起こさないようにする活動も、別に趣味でしているわけではありません。人々の苦しみの根源になり得る戦争が起こらないようすることも仏道修行と言えると、確信してのことです。 みなさまにも、そういった意味を含めた、ますますのお題目修行への邁進をお願いします。 令和5(2023)年春季彼岸会法話より
心の健康が第一 コロナ禍でも、こうして一緒にお参りできることはありがたい限りです。 元鬼刑事の僧侶、大島龍穏上人に法福寺で御法話頂いたのは、平成20(2008)年のこと。その大島上人がNHKラジオに出演されました。らじる★らじるで聞くことができます(現在は公開終了)。 さて、コロナ渦、そして地震や戦争。困ったものです。関連してお話ししたいことがありますが、時間も限られているので一つに絞ります。 先週、コロナワクチン3回目を打ちました。最高で38.8℃の副反応。なぜか、頭の中で「4×7=28、4×7=28」と反復していました。「熱を出して寝ているんだから…」と思っても気づくと、「4×7=28、4×7=28」。 今はお陰様でこうして元気です。健康のありがたみを実感させてくれた副反応でした。 日蓮聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。 」(『崇峻天皇御書』)と仰っております。 どうやら鎌倉時代の人々もまた、蔵の中身…お米やお金、着物といったところでしょうか…に価値を置いていたようです。そのような価値あるお金などを持っていることよりも健康であることの方が大切だし、体の健康よりも心の健康が一番の宝だ、と仰っております。 みなさまも心の健康…穏やかな日々を過ごすために怒らない、いじめない、小さいお子さんはおうちの人の言うことを聴いて立派な大人になる…が維持できるよう、お題目修行の邁進をお願いし、法話とさせて頂きます。 令和4(2022)年春季彼岸会法話より
ひとつ前の教え(2016〜20年) |