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お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え(2011年)

お会式法話要旨
開山会法話要旨
春季彼岸会法話要旨

寺報『石蕗(つわぶき)』のシリーズ「お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え」より
第18号:「善い原因をつくりましょう」

教え(2010年)
教え(2009年)
教え(2008年)
教え(2007年)
教え(2006年)
教え(2006年以前)



少欲知足



 お参りも無事終わりました。今暫くお時間を頂戴します。どうか、ひざをくずして楽になさって下さい。私も大分ひざが痛くなるようになりました。他人様と会う時も「最近ひざの調子はどうだい」が挨拶代わりで、いっそのこと「ひざ痛同好会」でも作ろうかという話しになっています(一同笑)。

 今日は、お会式…日蓮大聖人730回目の御命日のお参り…です。すでに御承知とは思いますが、50歳で佐渡へ渡られた日蓮大聖人。2年とちょっとの後、鎌倉へと戻られます。そして、あまり間をおかず、身延へと入られました。湿気が多く、夏暑く冬寒いところです。9年お住まいになられますが、体をこわされ、ひたちの湯へと静養に向かわれます。御歳60歳のことです。9月に身延を出発し、途中、信者さんである池上宗仲公のお屋敷…今の池上大坊本行寺…でお休みになられますが、体調がよろしくなく、それ以上進めません。6名の弟子を定め、後を託されました。そして、10月13日、その場で御入滅されたのです。

 「お墓は身延に建てて欲しい」という日蓮大聖人の御遺言に従い、身延に埋葬されました。この御遺言は「私(日蓮大聖人)の魂はずーっと身延に住みます」と続きます。私たちが身延山にお参りすることは、そこにいらっしゃる日蓮大聖人の魂に触れるという意味を持つのです。

 さて、この間6月の開山会で御法話申し上げましたが、今回もその続き、原発事故のことです。一回では言い足りないので、もう一度申し上げます。

 残念なことに、「騒ぎすぎだ」という声を耳にしました。しかし、原発だけは、どんなに騒いでも「騒ぎすぎ」と言うことはありません。月日が経ち、関心が薄れつつありますが、それではいけません。「新潟県内はあまり関係ない」という風潮もあるようですが、そんなことはありません。この3日付の毎日新聞に、県内の高校での測定結果が掲載されていました。堀内、小出、八海、塩沢、松代などで、比較的高い数値が検出されております(11月2日測定)。現状の程度では浴びても即死しないので、その恐怖を忘れがちですが、それではいけません。

 あのチェルノブイリ。事故から5年たった’91年に、独立を果たし、ウクライナという国の一地域となります。その時の人口が約5,200万人。そして昨年の人口が約4,500万人。この約20年で700万人も減っております。平均寿命も75歳前後から55歳へと下がりました。色々な影響があるでしょうが、放射能によるものが大きいと考えられます。また、今でも、その半径30km圏内は立ち入り禁止です。同じく100kmから300km圏内の人たちについて、事故から10年後、消化器・循環器系の病気について調査をしました。いずれも平均以上に罹っている人が多い、という結果が出ております。これが実態であります。この影響を真摯に受け止めて、対応しなければなりません。

 一番恐ろしいのは、この影響が小さな子ども達に大きく出る、ということです。同じ10年でも、私のような年の者の10年と、園児の10年とでは、格段に影響が異なります。子ども達は、こういうことはよくわからないわけですから、私たち大人がしっかりと見守ってあげなければなりません。

 事故後、「(お寺に隣接する)保育園は大丈夫か」という質問を頂きましたので、少々無理をして測定器を求めました。実際に測ってみましたが、事故以前と同じ値です。今日も、こうして小さいお子さんがお参りに来ておりますが、このようなお子さんたちを中心に十分お気をつけ頂きたい。…私はもうトシだから大丈夫ですが(一同笑)。

 食品の中では、とりわけ地面の近いところにはえるもの…こけ(きのこ類)、山菜など…へ蓄積されます。ここで気をつけなければならないのは、「○○産だから危険」とは一概に言えないということです。原発の近くで値の低いものがあれば、遠くで値の高いものもあります。

 そんな中、脚光を浴びているのが、京都大学の先生、小出裕章(こいで ひろあき)さんです。学生時代から原子力について勉強され、結果、その危険性を訴え続けております。当然、原子力を推進する立場の方からは疎ましく思われ、研究費も十分にもらえません。立場も、いまだ、助教です。事故後、講演依頼が引きも切らないそうです。その方の著書に、次のようなことが書かれていました。

「今回の原発事故は、天災ではなく、人災であり犯罪です。危険性の指摘には耳も貸さず、安全神話にしがみつき続けてきた東電や政府の無作為の犯罪と言えます。収束までにどのくらいの時間がかかるか、見当もつきません。相当かかることでしょう。長年住み続けた家に帰りたいと思っても、帰れないかも知れません。原発難民とならないことを、ただ祈るだけです。一度事故が起きれば、こんなにも苦しめられるのが原発なのです。」(大意)

 遠く離れていますと当事者でもない限り意識から薄れてしまいがちです。それではいけません。

 今回の事故は、「今良ければそれでよい」とする人が増えてしまった結果でないでしょうか。「子孫のために何ができるか」一人一人が考えなければなりません。今こそ、きすぎた欲望を捨て、法華経にも書かれております「少欲知足」を実践するときです。

 子孫に責任をもてる社会にしなければなりません。お題目修行をするみなさまは、もう御理解されていらっしゃるでしょうから、ぜひとも、まわりにも弘めて頂きたいのです。

 今、私たちがそれを実践することこそが、日蓮大聖人への恩に報いることになるのです。

 このことをみなさまにお願い申し上げまして、今日の法話を閉じさせて頂きます。

 御聴聞の行、まことにありがとうございました。
平成23(2011)年お会式法話より
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長い目で見た生活を



 本日はお参りありがとうございます。どうぞ、足は楽になさって下さい。ここから見てますと、足を痛そうにしている方が見えるので…(一同笑)。


 さて、今から740年前、当時天台宗のお寺が、日蓮聖人から「法福寺」の名前を頂き、新たな一歩を踏み出します。 開山会とは、その―日蓮聖人が法福寺を開かれたこと―への報恩感謝の気持ちを表すお参りなのです。


 地区懇談会で「日蓮聖人はどういう方だったのか」という質問がありました。いまから簡単にご説明申し上げますので、既にご存知の方は復習のつもりでお聞き下さい。

 日蓮聖人は、1222年、小湊でお生まれになられます。近くの清澄寺へ12歳で上がり、勉学にいそしみました。16歳で出家。

 比叡山など多くのお寺で修行をされ、「お釈迦様の教えで最も尊いのは法華経である」と確信を得、清澄寺へ戻ります。御歳32歳のことでした。その4月28日、旭が森で初めて「南無妙法蓮華経」とお唱えになられます。布教を致しますが、当時は他の教えが全盛で、結果、清澄にはいられなくなりました。

 都である鎌倉へ行き「南無妙法蓮華経じゃなければダメなんだ」と辻説法を行いますが、ここでも迫害を受けます。お住まいを焼き討ちにあったり、伊豆へ島流しにされたり、といった具合です。とうとう龍ノ口で首を切られそうになりますが、大きな光に助けられ、厚木の本間さん宅に一ヶ月ほど滞在しました。

 その後、佐渡への流罪が決まり、現在の国道17号線より少し長野寄りの道を経て 碓氷峠を越え、直江津に出て 海岸沿いを通ってまいります。そして、寺泊へと到着したのですが、風待ちのため、七日間滞在しました。―関東の方ですと、風待ちというと風が吹くのを待つと思われがちですが、そうではありません。新暦の11月頃のため、大変海が荒れており、風が治まるのをお待ちになられたのです―。

 その滞在中、天台宗寺院であった当山の時の住職が日蓮聖人にお会いし、「日蓮聖人の仰ることはもっともだ」と心服し、改宗します。お寺に「法福寺」―さきほども申し上げましたが―、御住職に「日伝」というお名前をそれぞれ頂戴し、現在に至っております。

 寺泊にいらっしゃったのは、御歳50歳のことです。いまならば青年の年ですが、当時は違いました。そのような状況で佐渡へ渡った日蓮聖人、滞在は足かけ4年に及びます。当初は塚原という焼き場で一間四面の庵…とは言っても穴だらけで、「天上から空が見えて雪が降ってくる」と御遺文に書かれたほどのもの…にお住まいになられました。

 御歳54歳、赦されまして鎌倉へ行くのですが、幕府は日蓮聖人の主張を聞き入れません。「三回言っても聞き入れられない時は山に入れ」という故事に従い、御信者さんである波木井さんの領地身延へお住まいになられます。

 それから9年ほど経った頃、大分体調がよくなく、日立へ湯治に行くことになりました。その途中、池上の地で6人のお弟子さんを決め、10月13日お亡くなりになられたのです。

 池上で火葬にしますが、「どこで死んでもお墓は身延に建てて下さい。私の魂は未来永劫そこに住みます」というお言葉に従い、身延へ埋葬されました。

 現在、お墓―御廟所(ごびょうしょ)といいますが―それとは別に、御真骨堂というお堂に お骨のほとんどが 安置されております。「どうして二カ所に分けるのか」聞いたところ、「現在、御廟所は人がいるところからは遠く、お骨が盗まれる可能性があります。なので、普段多くの人が出入りするところ(御真骨堂)に安置しているのです」とのことでした。

 このように身延山は日蓮聖人の魂がお住まいになっているところですので、「身延山へお参りする」ということは、イコール「日蓮聖人に会いに行く」という大切な意味を持ちます。皆さんにも 身延山にお参りに行く時は このような心持ちでお参り頂き、日蓮聖人の魂に触れて頂きたいものです。

 どうか、今日は感謝の気持ちでお参りして下さい。


 話は変わりますが、3月11日の地震以来、良くなるどころかだんだん悪くなってようにすら感じます。「被災者方々は、よく我慢されているな」という思いで一杯です。辛い思いをされている方はたくさんいることでしょう。今、我々が如何に恵まれているか 感じなければなりません。


 日蓮宗の僧侶で、この震災が原因で苦しんでいる人から相談を受けている方がおります。その相談内容の一部を紹介します。

 ケース1.夜眠れなくて困るBさん(36)。Bさん夫婦と長男そして足の不自由な姑と4人で暮らしていた。あの日、津波警報が出て避難を余儀なくされたが、「私も連れて行って」という姑を、「ごめん、連れて行かれないの」と置いてけぼりにしてしまった。「神も仏もないのか」と言った姑の最後の言葉が耳をはなれない。私は姑を見殺しにしてしまった。一体、どうしたらいいのか。

…同様なことがいくらでも起きたであろうことは想像に難くありません。もし、自分だったら、と思うとやるせない気持ちになります。

 ケース2.仙台に住むCさん(35)。7人家族のうち、5人がまだ行方不明。見つかるよう祈っているが、ただ泣くしかない。

…今私たちが無事にいることが如何に幸せか。感謝して暮らすことが大切なのです。


 そんな中、ボランティアで活躍している方がたくさんいらっしゃいます。

 納棺師(70)もその一人です。すでに一線を退いていたが、「自分に何ができるか」考えた結果、納棺の手伝いや遺体の取扱方を指導するようになりました。

 彼は、ただ棺に納めるだけではなく、声を掛けるようにしています。ある子どもさんの例です。「今日中にお骨になってお父さんお母さんのところへ帰れるよ。寒かっただろうね。これからは温かいお母さんの手料理を供えてもらえるよ。」。

 まさにこれこそ佛の姿であります。言うは易く行うは難しで、なかなかできないことです。こういう方の存在を知ると、もっともっと感謝して生きていかなければならないと感じます。


 原発。非常におっかない。一番おっかないのはチェルノブイリの結果―25年前のことだというのに―30km圏内は立ち入り禁止、コンクリートで作った「石棺」が老朽化しており 修理の必要があるが 資金がない。そんなチェルノブイリを上回る炉数の福島。

 新聞では報道されません―今回の法話も、大分週刊誌から情報を仕入れましたが―。政府が「不安を与えないため」と考えるからでしょうか。「直ちに健康に影響はありません」と言いますが、私たちは、5年後、10年後のことを心配しているのです。

 水素爆発の際、放射性物質がばらまかれたわけですが、当然、吸い込んでしまった方もたくさんいることでしょう。すると、体内から被爆するようになってしまいます。これを「内部被爆」と言います。被災地へ ちょっと立ち寄っただけの人への検査を要する場合が増えているそうです。では、ずーっといる人はどうなるのでしょう。なぜ政府はもっと早く発表しないのか。

 チェルノブイリでは甲状腺ガンに罹る子どもが多く出ました。甲状腺ガンといえば、ヨウ素剤が予防に有効―放射線を出すヨウ素が甲状腺に止(とど)まる前に、その居場所をヨウ素剤で占領してしまおうというもの―です。

 今回、「ベクレル」「シーベルト」という聞き慣れない言葉(単位)を幾度も耳にするようになりました。「ベクレル」は出す物質の強さ・威力、「シーベルト」は浴びたらどうなるか・被爆量と考えるといいでしょう。

 新潟では、平時0.031〜0.153μシーベルトだそうです。ご承知の通り、法福寺の境内には保育園もあり、園児の健康被害が心配だったので、機械で計測してみました。0.1μシーベルトでした。震災以後、外遊びを取りやめていたのですが、この結果を見て、再開しました。


 この度の原発騒動は、人間の思い上がりが原因ではないでしょうか。「安全」と言われ、受け入れた地元。仕事、家を得ることができ、住み慣れた土地を離れなくて良くなった。「良かった、良かった」と喜んで40年。確かに、良かった。が、今後は、その数倍以上の年月、苦労を受け入れなければならない。人間が考えた約束(想定)の範囲での「安全」だったのではないでしょうか。

 豊かになりたいと思うのが人間です。そして、それには限度がありません。だから、自分自身を引き締めなければならないのです。


 先ほどお唱えしました妙法蓮華経如来寿量品には「佛様は、亡くなったように見えるが、ちゃんと存在して、教えを説いていてくれる」とあります。正しいもののとらえ方を身につける―これが信仰です。それを身につけ、社会を良くしていくのです。


 日蓮聖人の時代、飢饉、台風、地震などが重なり、みんなが困った。その原因をお経に求めたのが日蓮聖人です。正しい教えに従って生活しないから天の戒めによって災害が起きたと、考えたのです(―同じようなことを今回言った著名人がいましたが、決して東北の方々がいけない、というのではありません。日本全体への戒めが東北に現れた と考えた方が良いでしょう)。そして、それを直すにはどうしたらいいのか、考えた結果をまとめたのが『立正安国論』です。正しく考えて生活をしなさい、と訴えております。


 その場の欲だけで考えるからおかしくなる。ただ「儲かるから」ではなく、長い目で見なさい―これがお釈迦様の教えなのです。


 これからもそのようなことを念頭に置いてお暮らしになることをお願いし、法話と致します。ご聴聞おつかれさまでした。
平成23(2011)年開山会法話より
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佛様のよろこび、日蓮聖人のねがい



…震災…

 早いもので、もう11日経ちました。そう、震災です。東北関東大震災とか東日本大震災とよばれています。
 みなさんは、あの日、どこにいらっしゃいましたか。私は、お寺にいました。大分長い間揺れていて不安になりましたが、震度はせいぜい2くらいです。近隣の方曰く「最初、自分がめまいがしているのかと思った」とか。それくらいしか揺れませんでした。地盤の違いでしょうか。昔から、「寺泊のハマは揺れない」と言われているとか。

 東日本全体に大なり小なり被害があったわけですが、私の友だちも、色々な体験をしました。
 普段乗らない電車にたまたま乗ったところで地震に遭い、一晩足止めを食らった方。
 ディズニーランドに勤める友人ですが、出勤時間がたまたま普段より遅く、「さて、そろそろ家を出るか」というところ=家で地震にあった方。御承知の通り、ディズニーランドは駐車場が液状化し、最寄り駅を走る電車が不通になり、お客さんも従業員の方も、そこで夜を明かしたわけですが、そうならずに済んだそうです。

 阪神淡路大震災や中越(沖)地震のとき、発生から10日経った頃は復旧・復興の雰囲気だったように思います。ところが、今回は、未だそのきざしが見えません。何とも言えない不安感というか心が安まらない日々が続いて居るように思いますが、如何でしょうか。


…日蓮聖人の『立正安国論』…

 さて、このような不安な状況というのは、なにも今に始まったわけではないのは、論をまたないかと。
 日蓮聖人が『立正安国論』をお書きになられた直接の動機に、このような状況がありました(『安国論奥書』)。幕府に奏進する3年前、正嘉元(1257)年8月23日、御歳36のこと。
 相模湾を震源とする推定マグニチュード7.0の地震が発生し、鎌倉で寺院や神社に大被害が出たそうです。数千とも数万とも言われる被災者、あちことで地割れや噴水、山崩れが起こったとか(『国史大辞典』(吉川弘文館))。
 災いはそれにとどまらず、その後も毎年のように大風、飢饉、疫病が起こります(『安国論御勘由来』)。
 現在既に不安があるというのに、この後に毎年のように災害が来たらどうでしょう。不安は増大します。心の安まるひまがありません。
 そんな状況がどうして起こるのか、その原因と対策を探るべく、日蓮聖人は、たくさんのお経に目を通されました。その結果をまとめ「間違った信仰をやめ、正しい妙法蓮華経へ帰依しなさい」という主張を、幕府へ示したのが『立正安国論』であります。ここのところは、昨年のお会式で御前様が御法話致しましたので、覚えている方もいらっしゃるかと。

 そのため、『立正安国論』の書き出しは…もともとは漢文なので意訳になりますが…「旅人が来て嘆いていう。近い正嘉元年(1257)のころから今年文応元年(1260)にいたる四箇年の間に、大地震や大風などの天変地異が続き、飢饉が起こり、疫病が流行して、災難が天下に満ち、広く地上にはびこっています。そのために牛や馬はいたるところで死んでおり、骸骨は路上に散乱して目もあてられず、すでに大半の人びとが死に絶えて、この悲惨な状態を悲しまない者は一人もおりません。(『日蓮聖人全集』春秋社)」となっているのです。
 なお、「旅人が来て嘆いていう。」というのは、主人とお客さんの会話調で書かれているからです。

 普段ですとなかなかわかりにくいかも知れませんが、こうして震災を目の当たりにしている今だからこそ、当時の不安感や、それを何とかして解消したい、人々に心安らかに過ごしてもらいたい、という日蓮聖人のお気持ちが、理解しやすいのではないでしょうか。

 ちなみに、この『立正安国論』を幕府は表面上では無視します。が、「間違った教え」と指摘された念仏宗の方々は黙っていられません。もちろん、幕府内にも念仏信者はおりました。

 立正安国論』を奏進した文応元(1260)年7月16日の約一ヶ月後、8月27日に、お住まい=松葉谷草庵=を襲撃されたり、その翌年、弘長元年(1261)5月12日、幕府によって逮捕され、伊豆の伊東へ流されたりしたのは、御承知の通りです。
(当日は、ここで時間となり終了)


…歌題目…

 本日もお唱え致しました歌題目にも、これらのことが歌われております。

十五、松葉谷の焼き討ちに 猿の知らせに御難免る
  松葉ヶ谷に草庵があった。焼き討ちに会うが、白い猿に導かれて裏山づたいに逃げ、難を逃れる。

十六、難なく逃れ山王の 社に響く経の御声
  逃げた先の山頂に山王権現があった。

十七、伊豆の伊東に流されて 流されながらも国土安穏
  松葉ヶ谷法難の一年あまり後、「国の悪口を言う」罪で、伊豆伊東に流される。

十八、したう涙を払うても 右手折られて嘆く日朗
  伊豆へ船で流罪。同道を役人に懇願する日朗上人。船にすがっていた右腕に、櫓が振り下ろされ右手を折られる。

十九、此経難持の声高く 低き調子も波のまにまに
 流される船に乗って、此経難持…と唱えられた聖人。波にただよって聞こえ、調子が独特だったとか。

二十、やがて隠るる離れ島 岩の上にぞ祖師はすてられ
  相模湾がしけていて、役人船酔い。伊東まで送ってもらえなかった。潮が満ちると水没するまな板岩に置き去りにされた。

 その後、鎌倉龍ノ口にて斬首されるところが中止され、当地寺泊を経て佐渡へ行かれたのは、これらが起きた10年後、御歳50のことです。


…此経難持…

 先ほどもお参りでお唱え致しましたお経ですが、漢文そのままで唱えることを真読、読み下して唱えることを訓読といいます。方便品での「爾時世尊…」お自我偈での「自我得仏来…」が真読、欲令衆での「諸佛世尊は衆生をして…」が訓読です。これを踏まえて、以降お聞き下さい。

 さて、いつもお題目の後にお唱えします「此経難持」。たった今も話題となりましたが、「見宝塔品第十一」の終わり部分の一節であります。

 ちなみに、見宝塔品の冒頭には、「爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実。」とあります。…なんだか聞いたことありませんか?そう、欲令衆の終わり部分の真読です。欲令衆は「欲令衆生 開佛知見…」から始まる方便品の一節など、法華経の複数の部分から抜き出したお経を訓読したものなのです。

 話しを戻します。 「此経難持」から「皆応供養」まで、若干の解説を加えながら、訓読致します。

「此の経は持(たも)ち難(がた)し 若し暫くも持(たも)つ者は 我即ち歓喜す 諸佛も亦(また)然(しか)なり 是(かく)の如(ごと)きの人は 諸佛の歎(ほ)めたもう所なり 是(こ)れ則ち勇猛なり 是(こ)れ則ち精進なり 是(こ)れを戒を持(たも)ち 頭陀(づだ)を行ずる者と名(なづ)く 即ち為(こ)れ疾(と)く 無上の佛道を得たり 能(よ)く来世に於(おい)て 此の経を読み持(たも)たんは 是(こ)れ真の佛子(ぶっし) 淳善(じゅんぜん)の地に住(じゅう)するなり 佛の滅度の後に 能(よ)く其(そ)の義を解(げ)せんは 是(こ)れ諸(もろもろ)の天・人 世間の眼(まなこ)なり 恐畏(くい)の世に於(おい)て 能(よ)く須臾(しゅゆ)も説かんは 一切の天・人 皆(みな)供養すべし」

「受持し難い…どれくらい受持し難いか、ちょっと前に例が書いてある。
 人がガンジス川の砂の数ほど経典を解き明かす、
 人が須弥山(しゅみせん、宇宙の中心をなす広大な山)をとって放り投げる、
 人がこの世界を足の指一本で振動させ蹴り飛ばす、
 大地の要素すべてを足の爪の上に置いて梵天の世界へ行く、
 人が火の中に枯れ草を背負って入っても焼けない(火=世界が破滅する時の火)
などはとても簡単なことで、これらよりも法華経を受持することは難しい…だけど、此の経を一瞬でも受持する人は、お釈迦様が喜ぶことをしているのである。 その人は、諸佛によって賞賛され、誇りある英雄であり、また速やかに覚りを得るだろう。 その人は、(衣食住についてのむさぼりや欲望を捨てて清らかに修行に励む)頭陀行を実践する人であり、佛の子であって、心を調伏した境地(淳善地)に到達している。 佛が入滅した後に、此の経を説き示すならば、その人は神々や人間に伴われた世界において眼を生じた者となる。 佛が入滅した後に、一瞬でも此の経を説き示す人は、あらゆる人にとって賢者であり、賞賛されるべきである。」

 佛様のよろこびと日蓮聖人のねがいを励みとし、日々の精進をお願い申し上げます。
平成23(2011)年春季彼岸会法話より
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善い原因をつくりましょう



 私達は日常の生活において「運」が良かった、悪かったとよく言います。この「運」とは何でしょうか。広辞苑によると「めぐってくる吉凶の現象。幸・不幸、世の中の動きなどを支配する人知・人力の及ばないなりゆき」と説明されています。では、めぐってくる理由(良い運、悪い運が来る理由)は何でしょうか。

 仏教では世の中の全ての事象は「縁」によって起こると教えています(「縁起」)。これは、広辞苑に「一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ」と説明されている、仏教の根本思想です。

 すなわち、「めぐってくる運のもとは縁によって起こってくる」と言えます。従って、「縁」とは諸々の結果を生じさせる もと です。

 このことを説明する言葉として「善因善果」(善い原因(縁)をつくれば結果として自分自身に善いことが起こる)、「悪因悪果」(悪い原因(縁)をつくれば結果として自分自身に悪いことが起こる)があります。これが縁起の教えの中で一番重要なことです。

 これからの幸せの為に、常に、善い原因(縁)をつくりましょう。

 どのようにしてか。それは、次の四つの心を持って「他の人々のために思いやりの心を尽くすこと」です。

一、他人をいつくしみ楽を与える心
二、他人をあわれみ苦しみを抜いてあげる心
三、他人の喜びを自分の喜びとする心
四、諸々のことがらにとらわれず、分けへだてなく人に接する心
寺報『石蕗(つわぶき)』第18号より
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ひとつ前の教え(2010年)