法福寺トップページへ
To top

日蓮宗法福寺TOP > 教え





お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え(2015年)

日蓮宗新潟県西部宗務所所報『佛心伝心』のシリーズ「法の燈」より、副住職が担当した文章を若干書き換えたもの
第43号:「あなたのすぐそばに」

春季彼岸会法話要旨

教え(2014年)
教え(2013年)
教え(2012年)
教え(2011年)
教え(2010年)
教え(2009年)
教え(2008年)
教え(2007年)
教え(2006年)
教え(2006年以前)



あなたのすぐそばに



 岩手県に「座敷わらしの宿」とうたう緑風荘があります。この緑風荘が火事で母屋・新館ともども全焼したのは、今から6年前のことです。そう聞いて、「おや、座敷わらしがいるなら、なぜ火事という災難に?」と思われたでしょうか。同じような疑問を感じた新聞記者が、緑風荘の経営者から次のような答を得ました。

「実は母屋も新館もだいぶ土台が傷んでいたんです。改修しなければいけなかったけど、3年先まで予約が切れずに入っていたので、できなかった。火事は東日本大震災の1年半前ですが、あの地震がきたら倒壊して犠牲者が出ていたと考えられます。また直前は満室がずっと続き、働いている家族は休みが取れずにいつ倒れるかという状態でした。火事で犠牲者は一人もいませんでしたし、旅館だけが燃えて、すぐ隣の家には延焼しませんでした。後から考えると火事になったことで助けられたというか、守られたとさえ思います」
 また、火事については「私にとっては悪いことではなく、再生のきっかけだと思っています」と語られました。
 火事を「災難」と見るか、「再生のきっかけ」と見るかで、生き方が変わるのです。


 日蓮聖人は、お手紙で
「法華経の一文字一文字は、仏様です。ですが、私たちがこの目で見ると、ただの文字にしか見えません。(略)法華経の一文字一文字を、声聞(しょうもん、自己の悟りのみを追求する修行者)や縁覚(えんがく、ひとりひらいた悟りを他人に説こうとしない聖者)は虚(むな)しいと、菩薩はたくさんの教えが詰まっていると見ます。そして、仏様は一文字一文字を金色のお釈迦様とご覧になります。」(『曽谷入道殿御返事』意訳)
と仰っております。

 4年間続いた「『お自我偈』色読運動」(新潟西部檀信徒協議会重点活動)も5月1日で終わりました。そのお自我偈には、
「悪い因縁を持っている人は、長い時間を費やしても、仏様の名前すら聞くことが出来ない。一方、一所懸命修行し、穏やかで正直な人は、教えを説くお釈迦様にお目にかかることが出来る。」(是諸罪衆生…在此而説法、趣意)
とあります。
 法華経の一文字一文字を「ただの文字」と見るか、「仏様」と見るかで、生き方が変わるのです。

 あなたのすぐそばに仏様はいらっしゃいます。このことを自覚するための信仰に、また今日から精進してまいりましょう。


参考文献:東スポWeb/2014年11月23日09時00分『全焼から5年「座敷わらしに会える宿」の今』なお、本リンク貼付にあたり、東京スポーツ新聞社様より許可を頂きました。お礼申し上げます。
所報『佛心伝心』第43号より
このページの一番上へ






 私事で恐縮ですが、昨年、本厄でした。いつどこで聞いたか忘れてしまうほど昔に、「『厄』転じて『役』、『厄年は人の役に立つ年』とも言う」と、聞いた記憶があります。ということで、昨年一年間は、来る者拒まずで通した結果、小学校PTA副会長と保育園副園長を仰せつかり、従来の副住職とあわせ、「副」が三つ揃いました。
 また、日蓮宗新潟県西部青年会の副会長が年齢順でまわってくるはずでしたが、一足飛びに会長を仰せつかっております。これが予定通りならば四つ揃うところでしたが、「あまり欲ばるな」というお告げなのでしょうか。はたまた、陰数(偶数)より陽数(奇数)の方が縁起良いということでしょうか。
 いずれにせよ、揃った三つの「副」を転じて、今年のみなさまに「福」が訪れますよう、お祈り申し上げます。…なんてことを今年の年賀状に書かせてもらいました。

 ちなみに、中華料理屋さんへ行くと、「福」が逆さまに飾られているときがあります。これは、「倒福」(とうふく)という縁起物です。倒は「逆さま」という意味で、「ダオフー」と発音します。同じく「ダオフー」と発音する「到福」=「福が来る」と掛けているのです。「福の反対」だとなにやら良からぬ感じがしますが、そうではないとか。

 脱線ついでにもう一つ。もう既にご存知の方もいらっしゃるとは存じますが、この三つの福のうち、一つがこの11月にとれます。そう、「副住職」の「副」がとれるのです。「副」がとれてもまだまだ未熟者です。みなさまのお力添えの程、お願い申し上げます。
 なお、11/23のお会式にあわせて、交代のお参りがありますので、みなさまにもぜひ、お参り頂きたく存じます。


  さて、この「福」ですが、法華経にはたくさんでてきます。ここでその全てを紹介しきれないほどに、です。今日は、その一つだけ、お話し申し上げます。
 それは、陀羅尼品。第二十六の一節「善哉善哉。汝等但能擁護受持法華名者。福不可量。」です。 「善き哉、善き哉、汝等(なんだち)但(ただ)能(よ)く法華の名(みな)を受持せん者を擁護(おうご)せんすら、福(ふく)量(はか)るべからず。」と訓読します。
  これは、羅刹女というもともと鬼女だったのが改心した神様たちです。この中には、鬼子母神も含まれます。彼女たちが、「仏の教えを弘める人達を守ります」と誓った言葉を聞いて、お釈迦様が応えたところです。「法華経の名前を受持する人を守ることで生じる福ですら計り知れない」…誤解を恐れずにいえば、法華経入門者と言えば良いでしょうか…を守ってもいいことが起きる、と仰っております。これは、この後に、法華経の中身までしっかり勉強して色々の供養をする人…法華経上級者と言えば良いでしょうか…を守ることで生じる福はもっと素晴らしい、と続くことによる表現です。

 ここの部分を引用して、日蓮聖人は、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という御文書の中で、「十界互具」のお話しをされます。
 「十界互具」とは、この世界は「地獄」から「仏」まで十に別けられるが、例えば、「地獄に仏」というように、十の世界はそれぞれ他の世界の要素が具わっている、ということです。この人間界=私たちの心=にも、仏のようなときがあれば、怒り=修羅、むさぼり=餓鬼のようなときがあるのを指します。これは、日蓮聖人が初めて仰ったのでは無く、中国の天台大師さんが今から1,500年くらい前に初めて仰ったことです。
 その十界互具は法華経のどこに書かれているのか、という疑問への回答の内、餓鬼界に仏の要素が具わっていることの証明にこの部分を引用されてらっしゃいます。

 すなわち、 「経に云く『一名藍婆(いちみようらんば)、乃至、汝等(なんだち)、ただよく法華の名(な)を持(たも)つ者を護(まも)らん、福量(はか)るべからず』等云云。これ餓鬼界所具の十界なり。」 ということですが、さきほどご紹介申し上げました、羅刹女はお経の中でお名前が紹介されております。一人目が藍婆(らんば)、二人目が(*)藍婆(びらんば)、三人目が曲歯(こくし)などなど十人いらっしゃるので、十羅刹女といいます。さらに鬼子母神とその子とおつきの方々。この方達が、法華経を読誦=読んだり唱えたり=する人を守ります、と誓います。それを聞いたお釈迦様が仰ったのが「受持法華名者。福不可量。」です。
(*)=「田比」
 十羅刹女も鬼子母神も元は鬼ですから、所属は餓鬼界です。その鬼の世界にも、このように仏様のような方がいらっしゃるのだから、餓鬼界にも他の世界の要素が具わっているとお示しになっております。

 では、他の、地獄、畜生から仏まではどうなっているのか。これは、またの機会にさせて頂きます。


 この法華経・お題目を信仰することによって、みなさまにも福がもたらされるようお祈りし、解説の行とさせて頂きます。

参考文献など
井上四郎編『訓読妙法蓮華経并開結平楽寺書店版』平楽寺書店、1957、ISBN4-8313-0195-7 C0015
沼田行正編『日蓮大聖人御一代説教(クリ弁)全集第一巻』本門社1969pp.233-235
植木雅俊訳『法華経(下)』岩波書店、2008、ISBN 978-4-00-024763-4
平成27(2015)年春季彼岸会法話より
このページの一番上へ
ひとつ前の教え(2014年)