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お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え(2009年)

春季彼岸会法話要旨

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心安らかに暮らす方法



…昨秋のお彼岸…

 昨年秋のお彼岸は、大島龍穏上人に御法話頂いたお陰で、2〜3割多めのお参りがありました。大島上人の著書も予想の3倍売れ、追加注文に喜びつつあわてたこと、御報告申し上げます。

 さらに、台所でお斎を作って下さった方から「台所にいても、法話が聞けるようにして欲しい」という御意見も頂戴しました。いままでは、そのような要望は一切なかったのに…(笑)。


…今秋のお彼岸…

 今秋は戸澤宗充上人を予定しております。

 伊豆の天城で『サンガ天城』という女性の駆け込み寺を運営している尼僧さんです。大島上人同様、テレビや新聞、雑誌などで幾度も紹介されている方ですので、御存知の方もおいでかと存じます。

 現代女性の苦悩を法華経で癒す、戸澤上人。今秋9月23日、法福寺にて御法話頂きます。


…シルバーウィーク?…

 ただ、今年の秋はちょっと、悩みがありまして…。

 まず、23日当日は秋分の日でお休み。これは例年のことです。ちなみに、その日は水曜日となっております。

 その2日前、つまり月曜日。これは9月第3月曜でして…そうです、「敬老の日」でお休みなのです。
 ちなみに、第3月曜を「敬老の日」とするのは、どの位前からのことだと思いますか。…6年前からです。もう6年も経つのですね。

 話しを戻します。そして、「その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする」という『国民の祝日に関する法律』第3条第3項の規程により、22日も、お休みとなります。

 平成元年から平成18年まで、5月4日は「国民の休日」でした。これは、「憲法記念日」と「こどもの日」に挟まれてのことでしたが、これと同じことが、この秋に起きるのです。
 なお、平成19年から、5月4日は「みどりの日」、4月29日は「昭和の日」となっております。現実お休みなのは変わりないのですが。

 また脱線してしまいました。20日は日曜日。そう、4連休なのです。土曜日もお休みと考えれば5連休。お勤めの方でも、「24,25日と有給休暇を取る」という猛者ならば、なんと、9連休になるのです。

 これはもうお寺にお参りしている場合ではないでしょ(笑)。

 なお、この連休、5月のゴールデンウィークと対比し、「シルバーウィーク」と言うとか、言わないとか。理由は、「敬老の日が、連休のきっかけだから」とか…。

(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「国民の休日(新しいウィンドウで開きます)」)

 と、いうことで、あまりにも日が良すぎる秋のお彼岸。昨年同様多くの方にお参り頂けるか、今からちょっとだけ心配しております。


…定額給付金…

 一頃に比べると、マスコミで報道される機会も減った、定額給付金。さっそく、詐欺の手段とされているようです。

 昨日は、大阪で80代の女性の方が 被害にあったとか。

 昨年12月、北陸のある地方での話し。
 「市役所市民課の職員と名乗り、「定額給付金の手続きハガキを送ったが、まだ手続きが終わっていない」という電話があった。銀行のATMで受け取れるよう、手続きをするので通帳とキャッシュカード、携帯電話を持ってショッピングセンターのATMへ行き、そこで指定のフリーダイヤルへ電話をかけるように言われた。ATMに着いたとき、相手の連絡先のメモを忘れたため、市役所へ電話したところ、振り込め詐欺の手口と気づき、お金は振り込まずに済んだ。」

 また、この17日、弥彦村での話しです。
 「村職員をかたり「給付金のことで娘の○○さんの住所と生年月日を教えてください。『弥彦』のあと何も書いていないから、番地を教えてください」などという不審電話がありました。」

 弥彦村だけでなく、長岡市でも、定額給付金について、郵便や電話で何かを尋ねるということや、ATMへ向かわせるようなことは、一切しないそうです。くれぐれもお気を付け下さい。
 もし、そのような電話や郵便があったら、市や警察に連絡するよう、長岡市は呼びかけています。


…5年経ちました…

 さて、ようやく本題です(笑)。

 法福寺に来て、来月末で丸5年になります。10年一昔とかつては言われましたが、その半分、5年でも、色々なことを体験させて頂きました。

 お坊さんとしての研修は、日蓮宗の場合、東京池上で行われることが多いのですが、より近かった横須賀にいた頃は全く行かず、こちらに来てから足繁く通うようになっております。
 荒行堂も行かせて頂きました。
 子供にも恵まれました。

 法福寺に来て以来、色々な出会いがありました。

 今週はじめ、20〜30代とおぼしき青年が来坊し、御集印を頼まれたのです。本堂でのお参りを薦めると、至心にお参りされていました。お話しを伺うと、家は他宗だが、日蓮聖人・法華経に惹かれ、日蓮聖人の霊跡を(仕事の合間を見て)巡っているとのこと。法福寺の次は三条の本成寺に行ってみたいとのことだったので、折角の機会と思い、共にしました。
 彼は日蓮聖人にまつわるたくさんのことを勉強しており、「なぜ、三条本成寺が日蓮宗でないか」も知っておりました。…私は、知らなかったのですが(笑)。
 昨日もメールをやりとりし、今度新潟に来る時は 柏崎の番神堂や角田妙光寺をお参りしたいという彼に、都合が付けば また一緒に行くことを約束した次第です。

 また、みなさんと出会うことができました。

 ことに、「いい人が来てくれた」と、我がことのように喜んで下さった、あの時の歓迎振りは忘れられません。…今は、子供に人気を取られているような気が若干しないでもないですが(笑)。

 出会う、ということは、いつかは別れる、ということです。

 初めてお会いし、「これからお世話になっていくんだ」と思ったのもつかの間、すぐお送りしたこともありました。
 月経(つきぎょう)にお邪魔しているお宅で、話しの流れから「私が死んだらもっと来て下さい(笑)」と冗談で言われました。その後、しばらくして本当に亡くなってしまったこともありました。
 「○○さんの体調が優れない」、「△△さんが入院した」と耳にし、覚悟をしていたところ、その方よりも先に別の方がお亡くなりになり、より衝撃を受けたこともありました。

 嬉しい出会いが多かっただけ、お別れも、よりつらいものとなるようです。

 お釈迦様は、愛する人との別れを「愛別離苦」、憎い人との出会いを「怨憎会苦」として、この世の苦しみを分類しました。
 わずか5年でこれだけ経験をさせて頂いたことを踏まえると、実は愛する人と出会うことすら、すでに苦の始まりではないか、そう思わずにはいられません。

 そう、実は、「この世の、すべては苦」としたのは、だれであろうお釈迦様です。

 その苦から逃げることなく、受け止めるにはどうしたらいいのでしょうか。


…お釈迦様のお言葉(法華経『如来寿量品第十六左はPDFファイルです』より)…

 今日もお唱えしました、お自我偈の一節「為凡夫顛倒 実在而言滅」。
 凡夫の顛倒せるをもって、実には在れども而も滅すと言う
 本当は存在するのだけど、私たち凡夫の心穏やかでない様子を見て、「存在しない」と仰った。
 お釈迦様は、今姿は見えないけど、それは存在しないのではなく、姿が見えれば私たちが修行しないことがわかっていて、敢えて、姿を隠しているだけなんだ、と。

 それは、この5年間でお送りした方々にも言えるのではないでしょうか。姿は見えなくても、お題目・法華経を通じて、彼方々に思いをはせることができます。と、同時に冥福も祈ることができるのです。


…日蓮聖人のお言葉…

 日蓮聖人は、『法華初心成仏鈔』で、「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になる也。」と仰っております。
 お題目・法華経を信仰することによって、佛になれる=安らかな境地を得られる、ということです。


 来世でまた会えることを祈りつつ、お題目・法華経を唱えていくことをお願いしまして、お彼岸の法話とさせて頂きます。
 長時間の聴聞、御苦労様でした。
平成21(2009)年春季彼岸会法話より
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