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山頂



山頂

法福寺は、ここから始まりました。写真は、隣接する「聚感園」頂上から日本海を望む風景です。

境内



法華堂跡



戦前(?)の法華堂跡

 法福寺はじまりの地。撮影年月日不明の絵はがきより。(現在の写真は準備中)。

境内



歴代墓所



(写真は準備中)

法華堂跡に隣接する法福寺歴代上人の墓所。

境内



中腹

中腹

現在の活動拠点です。右から本堂庫裡、道をはさみ、宝物殿梵鐘、寺泊保育園書庫が見えます。

中腹

平成18年6月撮影。画面右と下は、いまはなき寺泊保育園園舎です。

佐渡を望む

階段上から佐渡を望んでいます。

夕陽

ほぼ同じ位置からの夕陽。



日蓮聖人新潟県霊跡映像製作委員会による法福寺の紹介。

境内


本堂



本堂

明治5年の火事の後、建てられました。屋根は平成8年に改修。画面右に少し見えるのは かつての寺泊保育園園舎。令和2年解体され、いまは駐車場になっています。

雪の本堂
(令和3年1月2日撮影)

戦前(?)の本堂

 撮影年月日不明の絵はがきより。
 昭和20年代後半、寺泊保育園に在園された方から「当時はこのような様子だった」旨、メールを頂戴しました。情報提供ありがとうございます。

境内


庫裡



庫裡

明治5年の火事の後、建てられました。

世界測地系
北緯37度38分37秒
東経138度46分11秒

日本測地系:
北緯 37度38分26秒
東経138度46分22秒
マップコード58782802*82

境内


観音像



観音像

平成15年に寄進されました。

境内


鐘楼堂



梵鐘

行事前と大晦日に梵鐘が撞かれます。

昭和18年、旧梵鐘を太平洋戦争で供出し、その後はお堂だけの状態が続きます。昭和33年12月、新たな梵鐘をつり、翌秋に木羽から瓦へ屋根の葺き変えが行われました。

平成29年6月、御寄付により梵鐘が修復されております。

(平成26年5月12日まで、「昭和34年に再建」としていましたが、葺き替えを再建と勘違いしていることが判明しましたので、お詫びをし、訂正致します。このことを気づくきっかけを与えて下さった方に、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。)

画面奥に見えるのは、寺泊保育園園舎。令和2年取り壊されました。

境内


宝物殿



宝物殿

境内


奥駐車場(寺泊保育園発祥の地)


奥駐車場

令和2年8月、アスファルト舗装整備されました。寺泊保育園始まりの地です。

寺泊保育園

かつての寺泊保育園(平成18年6月撮影)。施設が移転したのに伴い、取り壊されています。なお、法人本部はこれまで通り当地にあります。

境内


むら子の墓 →写真左、説明の拡大写真



むら子の墓

良寛の妹むら子の墓。

境内


佐藤図書の墓説明 拡大写真



佐藤図書の墓説明

水戸藩家老職佐藤図書の墓説明。平成25年7月、水戸市教育委員会設置。

境内


入口駐車場



駐車場

境内図にある矢印方向に行くと、駐車場があります。お越しになる際は、御利用下さい。駐車場までの道のりについては案内図寺泊小学校近辺からの車道を御覧下さい。

世界測地系
北緯37度38分38秒
東経138度46分13秒

日本測地系
北緯 37度38分27秒
東経138度46分25秒
マップコード58782835*55

境内


階段下



階段下

この階段を上れば、本堂庫裡です。

境内



飛地境内



飛地境内

日蓮聖人が佐渡に渡る際、波がおさまるのを待つために 一週間滞在された場所。

戦前(?)の飛地境内

撮影年月日不明の絵はがきより。しかし、通路右側の 松の木から察するに、(わずかではありますが)道路用地として土地を提供する以前の撮影であることがわかります。また、いまはない塀が写っています。昭和20年代前半生まれの方が仰るには、「私が小さい頃…小学校に通う前…には、この塀はあった。銅像を建てるときに、壊したはずだ」とのことです。

寺泊神あかりの夕べの飛地境内

令和4年10月、当地を会場の一つにして、『寺泊神あかりの夕べ』(あかね通りの会主催)が開催されたときの様子。




日蓮聖人新潟県霊跡映像製作委員会による飛地境内の紹介。

境内


硯水の井戸



硯水の井戸

日蓮聖人が『寺泊御書(てらどまりごしょ)』に使われた水を汲んだ井戸。今も涸れずに湧いています。

戦前(?)の硯水の井戸

 撮影年月日不明の絵はがきより。撮影位置が数十度違います。また、お堂は建て直される前のものです。現在の写真 右に大きく写る松の木が、絵はがき正面の松の木と思われます。

平成28年7月6日付け新潟日報13面
(画像をクリックすると、大きな画像が新しいウィンドウで開きます。)

 新潟日報さんが、平成28年7月6日付け13面で紹介下さいました。


令和6年7月28日付け新潟日報3面
(画像をクリックすると、大きな画像が新しいウィンドウで開きます。)

 令和6年7月28日付け3面でも、紹介下さいました。

境内


日蓮聖人獅子吼(ししく)の銅像 聖人、御尊顔の写真



日蓮聖人獅子吼の銅像

佐渡へ向かって立たれる日蓮聖人。この銅像が建つ場所に、聖人が滞在された座敷がありました。
銅像が建つ前は池でした。容易に立ち入れないよう、そうしたのでしょうか。だとすれば、当時から「聖人が滞在された座敷跡」として大切にされていた と想像できましょう。
紀野一義氏は、その訳書で「荒れ狂う海のあなたの佐渡島を凝視して立っている」と紹介されました。
なお 「獅子吼」には 「高僧が説教すること」という意味もあるそうです。(『字統』
昭和39年9月除幕。

境内


祖師堂 正面の拡大写真



祖師堂

昭和24年に建てられました。

寺泊神あかりの夕べの祖師堂

令和4年10月、当地を会場の一つにして、『寺泊神あかりの夕べ』(あかね通りの会主催)が開催されたときの様子。

境内


『寺泊御書』碑



寺泊御書の碑

この地で日蓮聖人が書かれ、後に『寺泊御書』と呼ばれるようになる御文書の部分。

境内


芭蕉句碑



芭蕉句碑

拓本

 茨城県 拓本といしぶみの会の方による拓本です。歌の部分は会の方々に教えて頂いた記憶を基になぞってあります。「春」も教えて頂いたのですが、なぞった際にはわかりませんでした。

芭蕉句碑看板

三重や山口、千葉にもこの句の碑があるそうです。

境内


聴秋句碑 うた や句碑の拡大写真



聴秋句碑

花本十一世不識庵聴秋(上田肇、1852-1932)でしょうか。

境内