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日蓮宗法福寺TOP > 寺泊御書 |
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寺泊御書(てらどまりごしょ) 『寺泊御書』とは? 原典表記 原文 書き下し文 現代語訳 『寺泊御書』とは? 信者である富木常忍(ときじょうにん)氏へ宛てた、日蓮聖人のお手紙のことです。寺泊の地で書かれたため、そう呼ばれています。その時 使われた水を汲んだ井戸が、硯水の井戸です。文永8(1271)年10月22日、日蓮聖人御歳50歳の著述です。 『寺泊御書』は真蹟(実物)が残っており、重要文化財に指定されて、千葉県市川市中山法華経寺に大切に保管されています。 富木常忍氏は のちに僧(常修院日常上人)となり、自邸をお寺にします。これが、今の法華経寺です。これで、「なぜ『寺泊御書』が法華経寺にあるか」が、納得頂けることでしょう。 つまり、『寺泊御書』は、今の法華経寺がある所に住んでらした富木常忍氏へ宛てたお手紙であり、富木氏が受け取って以来、大切に保管され続けているのです。 内容や位置づけについては、以下、日蓮宗事典に拠ります。 (原典では、日付は漢数字) 「聖人は、文永8年9月、鎌倉幕府の勘気を受け佐渡へ流罪の身となった。10月10日相模依智を発ち、同月21日に寺泊に着き、ここで渡島の順風を待つ間に著したのが本書である。聖人は、富木氏が供奉させた入道を鎌倉に帰すにあたり、本書をことづけたのである。冒頭に相州依智から越後国寺泊津に至る旅の様子を述べ、如来滅後における法華経弘通の難を論じて、現身に受けつつある大難の意味を説き明かす。即ち度重なる受難こそ法華経と自己との符合を意味するもので「日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官」として法華経弘通に身命を捧げているとし、法華経の行者としての自覚の高揚を示されている。 これは翌文永9年2月述作の『開目抄』の伏線となるもので、佐前最後の遺文であると共に、佐渡期の聖人教学へ至る橋渡しとして重要な意味を持つものである。」 以下の原文、書き下し文、現代語訳は、『日蓮宗電子聖典』より転載しました。 (『日蓮宗電子聖典』の詳細は、はじめにに紹介してあります。) ※日蓮宗宗務院様、許諾ありがとうございました。 原文 今月[十月也]十日起相州愛京郡依智郷付武蔵国久目河宿経于十二日付越後国寺泊津。自此亘大海欲至佐渡国。順風不定不知其期。道間事 心莫及又不及筆。但暗可推度。又自本存知之上始非可歎止之。 法華経第四云 而此経者 如来現在猶多怨嫉況滅度後。第五巻云 一切世間多怨難信。涅槃経三十八云 爾時一切外道衆 咸作是言大王О今者唯有一大悪人瞿曇沙門。О一切世間悪人為利養故往集其所而為眷属不能修善。呪術力故調伏迦葉及舎利弗・目犍連等[云云]。 此涅槃経文 一切外道我本師二天三仙所説経典被毀仏陀所出悪言也。法華経文 仏非為怨。経文天台意云 一切声聞・縁覚並楽近成菩薩等[云云]。不欲聞不欲信不当其機出言莫謗皆定怨嫉者了。以在世惟滅後一切諸宗学者等皆如外道。 彼等云 一大悪人者当日蓮。一切悪人集之者 日蓮弟子等是也。彼外道先仏説教流伝之後 謬之後仏為怨。今諸宗学者等亦復如是。所詮依仏教起邪見。転目者欲転大山。今八宗十宗等多門故至諍論。 涅槃経第十八贖命重宝と申法門あり。天台大師料簡云 命者法華経也。重宝者 涅槃経所説前三教也。但涅槃経所説円教如何。此法華経所説仏性常住重説之令帰本以涅槃経円常摂法華経。涅槃経得分但限前三教。 天台玄義三云 涅槃贖命重宝。重抵掌耳[文]。籤三云 今家引意指大経部以為重宝等[云云]。天台大師四念処と申文に法華経引雖示種種道之文先四味又定重宝了。若爾者法華経先後諸経為法華経重宝也。世間学者想云 此天台一宗義也。諸宗不用之等[云云]。 日蓮案之云 八宗十宗等皆自仏滅後起之論師人師立之。以滅後宗不可計現在経。天台所判依叶一切経属於一宗不可弃之。諸宗学者等執自師誤故 或事寄機 或譲前師 或語賢王結句最後悪心強盛起闘諍無失者損之為楽。 諸宗之中真言宗殊至僻案。善無畏・金剛智等想云 一念三千天台極理・一代肝心也。顕密二道可為詮之心地三千且置之。此外印与真言仏教最要等[云云]。其後真言師等事寄此義無印真言経経下之。如外道法。或義云 大日経釈迦如来之外説。或義云 教主釈尊第一説。或義現釈尊説顕経現大日説密経。 不得道理無尽僻見起之。譬如不弁乳色者作種々邪推不当本色。又如象譬。今汝等可知。大日経等法華経已前如華厳経等已後如涅槃経等。又天竺法華経有印真言訳者略之羅什名妙法経加印真言善無畏名大日経歟。譬如正法華・添品法華・法華三昧・薩云分陀利等也。 仏滅後 於天竺得此詮龍樹菩薩。於漢土始得之天台智者大師也。真言宗善無畏等・華厳宗澄観等・三論宗嘉祥等・法相宗慈恩等 名依自宗其心落天台宗。其門弟等不知此事。如何免謗法失乎。 或人難日蓮云 不知機立麁義値難。 或人云 如勧持品者 深位菩薩義也。違安楽行品。或人云 我存此義不言[云云]。 或人云 唯教門計也。 理具我存之。卞和切足。清丸給于穢丸云名欲及死罪。時人咲之。雖然其人未流善名。汝等邪難亦可爾。 勧持品云 有諸無智人悪口罵詈等[云云]。日蓮当此経文。汝等何不入此経文。及加刀杖者等[云云]。日蓮読此経文。汝等何不読此経文。常在大衆中欲毀我等過等[云云]。向国王大臣婆羅門居士等[云云]。悪口而顰蹙数数見擯出。数々者度々也。日蓮擯出衆度。流罪二度也。法華経三世説法儀式也。過去不軽品今勧持品。今勧持品過去不軽品也。今勧持品未来可為不軽品。其時日蓮即可為不軽菩薩。 一部八巻二十八品天竺御経布一須臾承。定可有数品。今漢土日本二十八品略之中要也。正宗置之。至流通宝塔品三箇勅宣令被霊山虚空大衆。勧持品二万・八万・八十万億等大菩薩御誓言不及日蓮浅智但恐怖悪世中経文指末法始也。此恐怖悪世中次下安楽行品等云 於末世等[云云]。同本異訳正法華経云 然後末世。又云 然後来末世。添品法華経云 恐怖悪世中等[云云]。 当時当世三類敵人有之但八十万億那由他諸菩薩不見一人如乾潮不満月虧不満。清水浮月植木棲鳥。日蓮八十万億那由他諸菩薩為代官申之。彼諸菩薩請加被者也。 此入道佐渡国可為御供之由承申之。可然用途云かたがた有煩之故還之。御志始不及申之。人人如是申給。但囹僧等懸心候。便宜之時早々可聴之。穴賢穴賢。 十月二十二日酉時 日蓮 [花押] 土木殿 書き下し文 今月〈十月也〉十日、相州愛京郡依智(えち)の郷を起つて、武蔵の国久目河(くめがわ)の宿に付き、十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ。ここより大海を亘(わたり)て佐渡の国に至らんと欲す。順風定まらず、その期を知らず。道の間の事、心も及ぶことなく、また筆にも及ばず。ただ暗に推(お)し度(はか)るべし。また本より存知の上なれば、始て歎くべきにあらずと、これを止(とど)む。 法華経第四に云く、しかもこの経は如来の現在すらなお怨嫉(おんしつ)多しいわんや滅度の後をや。第五の巻に云く、一切世間怨(あだ)多くして信じがたし。涅槃経三十八に云く、その時一切の外道の衆ことごとくこの言を作さく、大王○今はただ一りの大悪人有り瞿曇沙門(くどんしやもん)なり。○一切世間の悪人、利養のための故にそのもとに往き集りて眷属(けんぞく)となりて善を修することあたわず。呪術力の故に迦葉(かしよう)および舎利弗(しやりほつ)・目犍連(もつけんれん)等を調伏(じようぶく)す。この涅槃経の文は、一切の外道がわが本師たる二天・三仙の所説の経典を仏陀に毀(やぶ)られて出すところの悪言なり。法華経の文は仏を怨となすにはあらず。経文天台の意に云く、一切の声聞・縁覚ならびに近成(ごんじよう)を楽(ねが)う菩薩等云云。聞かんとほつせず、信ぜんとほつせず、その機に当らざるは言を出して謗ることなきも、皆怨嫉(おんしつ)の者と定めおわんぬ。在世を以て滅後を推すに、一切諸宗の学者等は皆外道(げどう)のごとし。彼らが云う、一大悪人とは日蓮に当れり。一切の悪人これに集まるとは、日蓮が弟子等これなり。かの外道は先仏の説教流伝の後、これを謬(あやま)りて後、仏を怨となせり。今諸宗の学者等もまたまたかくのごとし。所詮、仏教に依て邪見を起す。目の転ずる者、大山転ずとおもう。 今八宗十宗等多門の故に諍論(じようろん)をいたす。涅槃経第十八に贖命重宝(ぞくみようじゆうほう)と申す法門あり。天台大師の料簡(りようけん)に云く、命とは法華経なり。重宝とは涅槃経に説く所の前三教なり。ただ涅槃経に説く所の円教はいかん。この法華経に説く所の仏性常住(ぶつしようじようじゆう)を重ねてこれを説て帰本せしめ、涅槃経の円常を以て法華経に摂す。涅槃経の得分はただ前三教に限る。天台の玄義の三に云く、涅槃は贖命の重宝なり。重て掌を抵(うつ)のみ文。籤の三に云く、今家(こんけ)引く意は大経の部を指して以て重宝となす等云云。天台大師の四念処と申す文に法華経の雖示種種道の文を引て、先四味をまた重宝と定めおわんぬ。もししからば、法華経の先後の諸経は法華経のための重宝なり。 世間の学者の想(おもわく)に云く、これは天台一宗の義なり。諸宗にはこれを用いず等云云。 日蓮これを案じて云く、八宗十宗等、皆仏滅後よりこれを起し論師(ろんし)・人師(にんし)これを立つ。滅後の宗を以て現在の経を計るべからず。天台の所判は一切経に叶うに依て一宗に属してこれを弃(すつ)べからず。諸宗の学者等、自師の誤を執する故に、或は事を機に寄せ、或は前師に譲り、或は賢王を語らい、結句、最後には悪心強盛(ごうじよう)にして闘諍を起し、失(とが)なき者をこれを損(そこのう)て楽となす。 諸宗の中に真言宗殊に僻案(ひがごと)を至す。善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)等の想(おもわく)に云く、一念三千は天台の極理(ごくり)・一代の肝心(かんじん)なり。顕密二道の詮たるべきの心地の三千をばしばらくこれを置く。この外、印と真言と仏教の最要等云云。その後、真言師等事をこの義に寄せ、印真言なき経経をばこれを下す。外道の法のごとし。或義に云く、大日経は釈迦如来の外の説なりと。或義に云く、教主釈尊第一の説なりと。或義に、釈尊と現じて顕経を説き、大日と現じて密経を説くと。 道理を得ずして無尽の僻見これを起す。譬えば乳の色を弁えざる者、種々の邪推を作(なせ)ども本色に当らざるがごとし。また象の譬のごとし。今、汝等知るべし。大日経等は法華経已前ならば華厳経等のごとく、已後ならば涅槃経等のごとし。 また天竺の法華経には印・真言有れども、訳者これを略し羅什は妙法経と名(なづ)け、印・真言を加えて善無畏は大日経と名づくるか。譬えば正法華・添品法華・法華三昧・薩云分陀利(さつうんふんだり)等のごとし。仏の滅後、天竺においてこの詮を得たるは竜樹菩薩。漢土において始てこれを得たるは天台智者大師なり。真言宗の善無畏等・華厳宗の澄観(ちようかん)等・三論宗の嘉祥(かじよう)等・法相宗の慈恩等、名は自宗に依れども、その心天台宗に落たり。その門弟等この事を知らず。いかんぞ謗法の失を免んや。 或人(あるひと)日蓮を難じて云く、機を知らずして麤(あらき)義を立て難に値うと。 或人云く、勧持品(かんじほん)のごときは深位の菩薩の義なり。安楽行品(あんらくぎようほん)に違すと。 或人云く、我もこの義を存すれども言わずと云云。 或人云く、ただ教門ばかりなり。理は具(つぶさ)に我これを存すと。 卞和(べんか)は足を切らる。清丸(きよまろ)は穢丸(けがれまろ)と云う名をたまいて死罪に及んと欲す。時の人これを咲(わら)う。しかりといえども、その人いまだ善名(よきな)を流さず。汝等が邪難もまたしかるべし。勧持品に云く、諸の無智の人有つて悪口罵詈(あつくめり)す等云云。日蓮この経文に当れり。汝等なんぞこの経文に入らざる。及加刀杖者等と云云。日蓮はこの経文を読めり。汝等なんぞこの経文を読まざる。常在大衆中欲毀我等過(じようざいだいしゆうちゆうよつきがとうか)等云云。向国王大臣婆羅門居士(こうこくおうだいじんばらもんこじ)等云云。悪口而顰蹙数数見擯出(あつくにびんじゆくさくさくけんひんずい)。数数とは度々なり。日蓮擯出衆度(ひんずいたびたび)。流罪は二度なり。 法華経は三世説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品。今の勧持品は過去の不軽品(ふきようぼん)なり。今の勧持品は未来、不軽品たるべし。その時は日蓮はすなわち不軽菩薩たるべし。 一部八巻二十八品。天竺(てんじく)の御経は一須臾(しゆゆ)に布くと承わる。定て数品あるべし。今、漢土日本の二十八品は略の中の要なり。正宗はこれを置く。流通に至て宝塔品の三箇の勅宣は霊山虚空の大衆にこうむらしむ。勧持品の二万・八万・八十万億等の大菩薩の御誓言は、日蓮が浅智に及ばざれども、ただし恐怖悪世中(くふあくせちゆう)の経文は末法の始を指すなり。 この恐怖悪世中の次下の安楽行品等に云く、於末世等(おまつせとう)云云。同本異訳の正法華経に云く、然後末世(ねんごまつせ)。また云く、然後来末世(ねんごらいまつせ)。添品(てんぼん)法華経に云く、恐怖悪世中等云云。 当時当世三類の敵人(てきにん)はこれあるに、ただし八十万億那由他の諸菩薩は一人も見えたまわず。乾潮(ひたるうしお)の満ちざる、月の虧(かけ)て満ちざるがごとし。水清まば月を浮べ、木を植えれば鳥を棲しむ。日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官としてこれを申す。かの諸の菩薩の加被を請(うけ)るものなり。 この入道、佐渡国へ御供なすべきのよし承りこれを申す。然るべけれども用途と云い、かたかた煩いあるの故にこれを還(かえ)す。御志始てこれ申すにおよばず。人人にかくのごとく申させたまえ。ただし囹僧(れいそう)等のみ心に懸り候。便宜(びんぎ)の時、早々これを聴かすべし。穴賢穴賢 十月二十二日酉の時 日蓮 花押 土木殿 現代語訳 (段落ごとにまとめた注釈はサイト管理者による) ※注釈作成にあたり、三上雅之様にご尽力賜りました。衷心よりお礼申し上げます。 ※なるべく機種依存文字を使用しないよう、例えば「相」ならば[木目]といった表記をします。それでも一部には機種依存文字を使用しています。使用するOSやブラウザにより、正しく表示されない場合がありますがご容赦下さい。 今月(文永八年十月)十日に、相模国愛京郡依智の郷(現在の神奈川県厚木市依知)の本間重連(1)の役宅を出発して、武蔵国久目河の宿(現在の東京都東村山市)に着き、それより十二日間の旅をして、越後の国、寺泊の津に着いた。これからいよいよ日本海の大海原を渡って佐渡の国へ向かおうとしているが、順風が定まらないため、いつ渡るかという時期の見当がつかない(2)。依智から寺泊への道中のことは、思案している余裕などなく、また筆に書くこともできない困難なものであった。ただ御賢察をお願いするばかりである。またすべての艱難はもとより覚悟の上なので、いまさら嘆くべきではないので、申し述べるのはやめておく。
法華経の第四巻の法師品(ほつしほん)第十には「この法華経は、釈尊が世にお出ましになって活動していた時代でさえも怨(うら)み嫉(ねた)む者が多い、まして釈尊の入滅後にはより多くの困難がある」とあり、法華経第五巻の安楽行品第十四には「世の中には怨みが多く信仰することは困難である」とある。また涅槃経の第三十八巻には「その場にいたすべての外道(3)の人々が、阿闍世王(4)の前に出て次のように申し述べた。大王、いま世の中に一人の大悪人があります。その大悪人とは瞿曇沙門すなわち釈迦であります。世の中のあらゆる悪人は、自分の利益のために釈迦のところに集まって、しかもその配下となって少しも善いことをしようとはしません。また釈迦は怪しい呪術の魔力によって、迦葉(5)や舎利弗(6)・目連(7)等を帰伏させ弟子にしています」とある。この涅槃経の経文は、あらゆる外道が、自分達の本師であるところの二天(摩醯首羅天(まけいしゆらてん)(8)・毘紐天(びちゆうてん)(9))三仙(迦毘羅(かびら)(10)・[シ區]楼僧[イ去](うるそうぎや)(11)・勒娑婆(ろくしやば)(12))の説いた四囲陀(しいだ)等の経典の説を、釈尊にきっぱりと否定されたことを残念に思い、国王に訴え出る折に吐いた悪口である。また法華経の経文による「怨嫉」「多怨」という意味は、涅槃経のように外道が釈尊を敵としているのとは少々趣きが違って、仏教を信奉する者の中にもある「怨」、すなわち釈尊の弟子の中にさえも多くの法華経の「怨」があるということを説いている。天台大師智[豈頁](ちぎ)(13)の説を承けた妙楽大師(14)の法華文句記にも、小乗の覚りに執著する声聞(15)・縁覚(16)ならびに、始成正覚の仏を信奉して永遠の釈尊を信じようとしない(17)菩薩等が怨であるとある。また法華経を聞こうともせず、信じようともせず、受容しようとしない者は、たとえ口に出して公然と謗らなくとも、それらはすべて法華経の怨嫉であると断定された。釈尊が世に在った時の様子から、入滅後の今日に推しあてて考えてみると、今のあらゆる諸宗の学者は、すべて釈尊在世の頃の外道に相当する。外道が釈尊を「大悪人」と呼称したが、それは今日で言えば日蓮のことである。また「すべての悪人が釈尊の所に集まって配下になる」とは、日蓮の弟子達に当たっている。外道の人々は過去世に先仏が説いた教えを間違って解釈してよこしまな心を起こし、後に出現した釈尊を怨として種々の迫害を加えた。今、諸宗の学者もそれと同様であって、とりまとめて言えば釈尊の説いた教えを誤解して、それによってよこしまな心を起こしている。あたかもめまいを起こした人が、大きな山がまわっていると思うようなものである。 いま南都の六宗に天台・真言の平安の二宗を加えた八宗さらにこれに鎌倉時代の浄土・禅の二宗を加えた十宗が多くの門流に分かれて論争しているのも叙上のような理由によるのである。涅槃経の第十八巻に「贖命重宝」(大切な宝によって命をあがなう)という譬えがある。天台大師はこの譬えを解釈して次のように述べている。「命とは法華経のことである。その命をあがなう重宝というのは涅槃経が説くように蔵・通・別・円の四教(18)の中の前の三教のことである」。それでは涅槃経に説かれている円教はどうなるかといえば、それは法華経で説いた仏性が常住であるという道理を、涅槃経で重ねて説いて本の法華経の真理を明らかにするものであり、涅槃経の円理常住(19)の法門は法華経に収められるのである。涅槃経が説くところの対象はただ前三教に限られるのである。天台大師の法華玄義の第三に「涅槃経は法華経の命をあがなう重宝である。法華経の命を譲るために重ねて掌を打って賛同したまでのものである」とある。また妙楽大師の法華玄義釈籤の第三にはこの説に関連して「天台の家で涅槃経の贖命重宝の譬喩を引くのは涅槃経を重宝とし法華経を命とするのである」と述べている。天台大師の四念処という著作には、法華経方便品第二に「法華経に種々の道を説き示すのは、法華に引き入れるための方便である」とあるから、法華経以前に説かれた華厳・阿含・方等・般若の前四味(五味のうち)の諸経は、法華経の命をあがなうための重宝であると定めている。以上の通りならば、法華経の前の諸経も後の諸経も、すべて法華経の命をあがなうための重宝なのである。 これに対し諸宗の学者等の考えは、法華経以外の諸経は法華経の命をあがなうための重宝であるというのは、天台宗に限られた見方であるから、天台宗以外の諸宗ではその主張に賛同しないというものである。 私、日蓮はこのように考える。八宗・十宗の宗旨はすべて釈尊の滅後にそれぞれの祖師たちによって立てられたものであるから、釈尊滅後すなわち後から出来た宗旨の義に基づいて、釈尊の説いた経の内容をあれこれと議論してはならないのである。天台大師の主張は、経典の本意に叶った普遍的なものであるから、単に天台一宗に限られた見解として排除してはならない。諸宗の学者は自分が祖師と仰ぐ人の誤った考えに執(とら)われてしまっているから、法門の受け手の衆生の能力が充分でないとか、先哲の主張だから正しいとか述べた上に、賢王にとりいって味方につけ、結果として悪心を盛んにしてあらそいを起こして、何の失もない者が迫害されたり流罪されたりするのを見て楽しみにしている。 諸宗の中でも、真言宗は特に間違った意見を持っている。真言宗の祖師の善無畏(20)・金剛智(21)等の考えによれば、一念三千(22)は天台の至極の理論であり、釈尊の生涯における五十年におよぶ説法の中の最も肝要な部分であるが、釈尊の説である顕教(23)と大日如来の説である密教(24)の両者の中でも一念三千はしばらく置いておき、この他に真言密教で説くところの印相(25)と真言陀羅尼(26)とがあり、それが仏教の最要であるとする。その後、後につづく真言宗の学者達は、善無畏・金剛智の主張に基づくものだと称して、印相と真言陀羅尼を説かない経を低く位置づけて、外道の法のように劣るものであると否定した。それらの人々は、大日経は釈迦の説ではなく大日法身仏の説いた経であると言ったり、大日経こそ釈尊の説いた経の中の第一であると述べたり、ある時は釈尊と現われて印相と真言陀羅尼のない顕教(けんぎよう)を説き、大日如来として現われては両者を兼ね具えた密教を説いたと主張するなどである。 このように仏教の筋道を考えずに、限りない間違った考えを起こしている。譬えば、牛乳の色を知らない者が、色々と推量をしてみても、結局は本当の色がわからないようなものである。また目の不自由な人々と象との譬えのようなものである。真言師等は知るべきである。大日経等の真言の経が法華経以前に位置づけられるのならば華厳経等と同じであり、もし法華経以後ならば涅槃経と同様であって、いずれにしても法華経にはかなわないことを。 またインドの法華経の原典には印相と真言陀羅尼もあったが、翻訳者がそれを略したことも考えられる。鳩摩羅什(くまらじゅう)(27)の場合は妙法蓮華経と名づけ、後に善無畏(ぜんむい)が印相と真言陀羅尼を加えて大日経と名づけたともみることができる。例としては、法華経一つにしても、正法華経・添品法華経・法華三昧経・薩云分陀利経などの異名があるようなものである。釈尊の入滅後に法華経が諸経に勝れることを正しく知り得た人は、インドでは竜樹菩薩、中国では天台智者大師と称される智[豈頁]である。真言宗の善無畏等・華厳宗の澄観(28)等・三論宗の嘉祥(29)等・法相宗の慈恩(30)等の諸師は、名目上はそれぞれの宗旨の祖師として一宗を立ててはいるが、その実には、内心では天台宗に帰伏していたのである。これらの諸師につき従う多くの門弟はこのことを知らずに各々の宗旨に固執しているのであるから、どうして謗法の重い罪から逃れることができようか。 ある者は、日蓮は相手の機根をよく知らずに粗末で強引な宗義を立てたから難に値うのだと非難する。 ある者は、法華経勧持品第十三に法華経を信奉する修行者は必ず難に値うと説かれているのは、位の高い深位の菩薩にあてはまるものであって、日蓮のような位の低い修行者は、安楽行品第十四に説かれるような寛容的な布教法によるべきなのに、それに背いていると非難する。 ある者は、内心では法華経の布教を正しく貫いて行くことが必要なのは知ってはいるが、人目をはばかって述べないのであると言う。 ある者は、日蓮の主張は経典の内容からみた教相(31)の面からの検討だけであって、重要な観心(32)の方面の思慮が欠けているが、私はそれを充分に理解していると述べる。
中国の卞和(33)は武王への忠誠心を理解されずに逆に反感をかって両足を切断されてしまった。日本では和気(わけ)の清麿(丸)が忠義の心から道鏡が天皇になろうという野望を打ち砕いたがために、彼の怒りにふれて名を穢麿(丸)と改められ、死罪になりかけた上に足の筋を切られて大隅に流された。当時の人々はこの様子を見てわらったが、嘲った人々はその名を残していない。いまここに述べたような非難も、またこれらの事例とかわることがなかろう。法華経の勧持品第十三には「諸の無智の人が、正法を修行する者に悪口を言ったり非難したりする」とある。日蓮はあたかもこの経文のように侮蔑されている。それならば非難する人々こそこの経文の「無智の人」なのではないか。また同じく勧持品に「正法の修行者に刀で斬りつけ、杖で打つ者がある」とある。日蓮はこの経文を身をもって体験した。非難し迫害する人々は、この経文の意味がわからないのだろうか。また勧持品には「常に人々の前で正法の修行者を厳しく非難しようとする」「国王や大臣、婆羅門居士(34)などの権勢のある人々に向かって、正法の修行者を批判した言動を行なう」「悪口・侮蔑を受け正法の修行者は度々追放されたり流罪されたりする」などとある。この経文に「度々」とあるのは度が重なることである。日蓮は所を追われること数度におよび、流罪も伊豆配流につづき二度目である。 法華経の方便品第二によれば、過去・現在・未来の三世の諸仏は、まず権教を説いて人々を誘引し、最後に法華経を説くことになっている。従って説法の順序や布教の方法については、どの仏であってもその儀式の形式は法華経と変わりはない。このため過去世の威音王仏(いおんのうぶつ)(35)の時の不軽品第二十は、今の釈尊の勧持品第十三の教えとなり、同時に今の釈尊の勧持品の教えは、未来の仏の時は過去の不軽品となって、正法を布教する手本となる。不軽品に登場する不軽菩薩は、非難する者・信奉する者すべてに等しく布教して、時には刀・杖で打ちつけられ瓦や石を投げられたりする迫害を受けたが、今の釈尊の勧持品が、未来の世において、過去の不軽品として仰がれるようになれば、日蓮は過去の不軽菩薩として、正法を布教することの手本となるであろう。
法華経は八巻二十八章から成るが、インドの原典は四十里程に亘って布かれるほどの量があると聞いている。きっと章の数ももっと多いことだろうが、現在伝来している中国や日本の二十八章の経は、出来るだけ簡略にして要点だけを取ったものである。法華経は前半・後半それぞれに序分・正宗分・流通分の三段に分かれているが、ここでは前半の部分について、序分と重要な正宗分についてはしばらく置いて、流通分について述べると、宝塔品第十一で法華経の布教をすすめた教えとして説かれる三箇の勅宣(付嘱有在・令法久住・六難九易)(36)は、法華経説法の地である霊鷲山と、さらに説法の場が虚空へと移った後の聴衆すべてに与えられた教えである。勧持品に至ると、この三箇の勅宣の勧めに従って集まってきたところの二万・八万・八十万億等の大菩薩が、釈尊の入滅後の布教を誓ったことが説かれるが、この様子は日蓮の浅い智慧では量り知ることはできない。けれども、その誓いのことばの中の「恐ろしい悪世の中」とある経文は、末法の始めにあたる今日には、勧持品に依るべきことを説き示すことになる。
「恐ろしい悪世の中」と説かれる勧持品の次の安楽行品には「末世において」とあり、妙法蓮華経と同本異訳の正法華経には「後の末世」「後来の末世」ともあり、同じく添品法華経には「恐ろしい悪世の中」とある。 現在の世の中を見ると、勧持品に示された三類の怨敵(法華経布教をさまたげる俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖(せんしよう)増上慢の人々)(37)が眼前に現われている。しかし釈尊の前で布教の誓いを立てた八十万億の菩薩は一人も見えていない。干いた潮が満ちず、月が欠けたままで丸くならないような物足りなさを感じる。水が清めば月は自然とその姿を水面に浮かべ、木を植えると鳥がやってきて棲む。日蓮は八十万億の諸菩薩にかわって法華経の布教をするのであり、その諸菩薩の守護をうけている者である。
貴殿が差し向けてくれたこの入道は、貴殿の言い付け通りに、佐渡の国まで同行したいと言うけれども、費用の事もあり(38)、また気の毒でもあって、色々とめんどうなことがあるので帰ってもらいます。貴殿の暖かいお気持ちはいまさら改めて申し述べるまでもないが、一同の者にもよく申し伝えて下さい。ただ牢に入れられている日朗(39)らの弟子のことが気にかかります。機会があったならば、ぜひとも早く安否について聞かせて下さい。
十月二十二日酉の時(午後六時頃) 日蓮 花押 土木(40)殿
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