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住職詳細 寺報『石蕗(つわぶき)』第9号より:成満 寺報『石蕗(つわぶき)』第8号より:入行 寺報『石蕗(つわぶき)』第7号より:結婚 寺報『石蕗(つわぶき)』第6号より:挨拶 成満(お礼の言葉) たくさんの成満旗 無事百日の行を満ずることができました。法福寺を大事に思う檀信徒みなさまがいてこそのことと感謝しております。前号の編集後記で、「壮烈な体験談を…」とありました。何から書いてよいのやら…という訳で大まかに説明致します。一日に… ・七回水をかぶり、 ・その間にお経を読む。 ・食事は二度。おかゆとみそ汁のみ。ただし、信者さんから野菜を頂くこともある。 ・睡眠は三時間弱といったところです。 伝師様(先生)から、「留守を預かる檀信徒や寺族の期待に応えられるような修法師となりなさい。」と訓育頂いたことが、印象に残っています。
寺報『石蕗(つわぶき)』第9号より
入行 来る11月1日より寒百日間、行堂へ入行します。=修行に行ってきます。 一般に「大荒行堂」「荒行堂」「行堂」などと呼ばれますが、正式には「日蓮宗加行所(けぎょうしょ)」といいます。千葉県市川市中山、大本山法華経寺内に、この期間のみ開設される、外出の許されない結界修行です。 ちなみに、法華経寺は日蓮聖人の信者で後に僧となった富木常忍氏が自邸を寺としたものです。皆さん御存知『寺泊御書』は、この富木邸へ宛てたもので、今でも法華経寺に大切に保管されています。 話を戻します。荒行堂の百日は、前半35日間の自行(自分のための行)と、後半65日間の化他行(他人のための行)に分かれます。自行期間について、ごく簡単に言えば、「読経か水行(水をかぶる)かの生活」です。自行が明けると面会が許されます。このような生活を続け、2月10日に成満(行が終わること)を迎えます。法華経寺での活動がこれで終了し、その後、各寺院で「帰山(奉告)式」が行われます。 入行準備のために10月中旬から、帰山式下伝いなどのために3月上旬まで月経やお年忌、お葬式などで御迷惑をおかけ致します。誠に申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 寺報『石蕗(つわぶき)』第8号より
結婚
平成16年9月18日長岡市「ホテルニューオータニ長岡」白鳥の問にて、法福寺住職海津英祥様の長女と、島田武尚殿の結婚披露宴が盛大に催されました。御媒酌人の、柏崎妙行寺御山主 秋山文孝僧正 栄代子夫人に導かれて席に着かれたお二人に、新潟県西部宗務所長 池浦泰樹僧正(上越法顕寺御山主)、新宿常圓寺御山主 及川周介僧正からの暖かく格調高いお祝辞が述べられました。 引き続き、新潟県西部宗会議員 斉藤健一僧正(柏崎東城寺御山主)の乾杯で祝宴が始まり、甲府遠光寺御山主 加賀美泰全僧正、法福寺総代 三上朝栄様の心温まるお言葉を戴きながら佳境へと進んで行きました。 御存知のように、島田武尚殿は既に平成16年4月に海津家に、正式に副住職「海津武尚」として入籍され、第58代目の住職を目指して修行・研鑽の日々を送っておられます。 地元檀信徒の皆様には既に葬儀・法要の行事のほか、お盆や月経のお参りなどで御存知の方も沢山いらっしゃる事と思います。又、出席者の皆様も 前号の「石蕗」でも紹介されておりましたので、すでに顔見知りのせいか、堅苦しさも無く 和やかな雰囲気のうちに時間が過ぎ、午後3時すぎ 全員幸福感と満足感に浸りながら散会となりました。 法福寺の維持・発展に尽力されて来られた現住職英祥様が、ここ数年来抱えていた大きな問題の一つが、この後継者の問題でした。 過日お聞きした所によりますと、毎年何度となく身延山を訪れ、七面山に登って「何とかお願いします!」と合掌していましたら、ある時突然「大丈夫だ!・・・大丈夫だよ!」とはっきりお告げがあり、その時以来今日の吉事を確信していたそうです。 一方、武尚殿も都会とは言え、お寺で育ったDNAのせいか、大学の専門が理数系(数理科学)でありながら、早くから佛門に入り、今日を予測していたかのように修行に励んでおられました。 この様な人知の予測を超えた出会いは、世界には時々現れる現象のようですが、御両親や御本人達の目に見えない強い絆が今回の良縁になったものとおもいます。 このような、佛様と御両親の御加護のもとに結ばれたお二人の「佛縁」に、心からお祝い申し上げます。(編集部)。
寺報『石蕗(つわぶき)』第7号より
挨拶 平成16年4月に法福寺へ参りました海津武尚です。この3月まで島田武尚でした。婚姻によって苗字が、出家によって名前の読みが、それぞれ変わりました。 名前を変えるのには、家庭裁判所の許可がいるとか。しかし、今回は家裁に行くことなく、市役所で簡単にできました。その職員曰く、「家裁の許可がいるのは戸籍を変えるときです。戸籍に登録されているのは漢字のみで、読みは住民登録の問題です。なので、読みだけの変更でしたら、ここ(窓口)で簡単に変えられます」。勉強になりました。 母の実家は巻町(現新潟市)角田山妙光寺です。角田山の御前様は叔父にあたります。角田山の御前様に顔が似ているとよく言われます。 新潟は「お母さんの実家のあるところ」「おばあちゃんちがあるところ」ということで、比較的縁のある方でしたが、自分が住むようになるとは思ってもみませんでした。まさに、青天の露震と言ったところです。しかし、いざ来てみると、寺泊(というか、法福寺というか)にいるのが当然であるような気がして仕方ありませ ん。佛祖三宝のお導きというか、お祖師さまからの御縁というか、そう言ったものを強く感じている次第です。 この3月までは、臨時採用教諭として、横須賀市内の中学校に奉職しておりました。一生を左右すると言っても過言ではない中学時代、思春期真っただ中の生徒達と共に過ごせたことは、私にとって人生の宝物の一つです。 齢三十にして名前や住まい、生活が変わり、すてきな(?!)伴侶を見つけることもできました。 御前様のちょうど半分の年齢で、還暦に向って折り返し地点を過ぎたところです。中学生へただただ一心に注いでいた気持ちを、心機一転、お檀家さんに、お寺に向けていく心持ちでおります。 すでに月経(つきぎょう)やお題日講にお邪魔したり、法事に出座したりしています。その際に御前様が紹介されると、みなさん異口同音に「これで安心です」「良い方が来なすった」と喜んで下さいます。その期待を裏切らないよう、期待に添えるよう、よりよい僧侶になるべく、日々邁進して行きます。 お檀家さんとの話の中で出身地(横須賀)の話になると、「よくこんな田舎に来て下さいましたね」「不便でしかたないでしょう」 と、よく言われます。 しかし、私が育ったのは、横須賀でもはじっこで、市内の人をして「それ、どこ?」と言わしめるところです。ですので、郵便局も役場(現支所)も金物屋さんも履き物屋さんも本屋さんも文房具屋さんも写真屋さんも酒屋さん、全て徒歩圏内にある法福寺の方が、むしろ便利なのです。 以上、とりとめのない文章になってしまいましたが、御挨拶かたがた自己紹介申し上げ、雑感を記します。どうぞ、よろしくお願いします。 …インタビュー…(副住職との一問一答) 問1:食生活 好き嫌いはありません。なんでもたべます。ただし、30歳を過ぎたので、栄養の摂りすぎにはならないよう、気をつけています。 問2:印象 お檀家さんは「皆いい人で、素朴で実直」と感じています。 寺泊町は「のどか」という印象です。 挨拶文にも書きましたが、法福寺周辺は「色々なお店があり、横須賀に住んでいた時よりも、むしろ便利になった」と感じています。 問3:動機 「お寺に育ち 佛様から御飯を頂戴している以上、いつかは お坊さんとして活動していかなければ」と思ったのは、小学校高学年の頃だったと思います。 問4:大変なこと 正座です。学校へ勤めていた頃は、ほとんど正座しませんでした。また、ここ数年で大分太ってしまい、とても難儀をしております。近頃の私的課題を「減量(できれば8kg)」とするほどです。 問5:抱負 人の集まる、気軽に来られる、「ここに来ると気持が和らぐ」「自分の骨をここに埋めたい」と思ってもらえる、そんなお寺にしたいです。 寺報『石蕗(つわぶき)』第6号より
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