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挨拶
平成16年4月に法福寺へ参りました海津武尚です。この3月まで島田武尚でした。婚姻によって苗字が、出家によって名前の読みが、それぞれ変わりました。
名前を変えるのには、家庭裁判所の許可がいるとか。しかし、今回は家裁に行くことなく、市役所で簡単にできました。その職員曰く、「家裁の許可がいるのは戸籍を変えるときです。戸籍に登録されているのは漢字のみで、読みは住民登録の問題です。なので、読みだけの変更でしたら、ここ(窓口)で簡単に変えられます」。勉強になりました。
母の実家は巻町(現新潟市)角田山妙光寺です。角田山の御前様は叔父にあたります。角田山の御前様に顔が似ているとよく言われます。
新潟は「お母さんの実家のあるところ」「おばあちゃんちがあるところ」ということで、比較的縁のある方でしたが、自分が住むようになるとは思ってもみませんでした。まさに、青天の露震と言ったところです。しかし、いざ来てみると、寺泊(というか、法福寺というか)にいるのが当然であるような気がして仕方ありませ
ん。佛祖三宝のお導きというか、お祖師さまからの御縁というか、そう言ったものを強く感じている次第です。
この3月までは、臨時採用教諭として、横須賀市内の中学校に奉職しておりました。一生を左右すると言っても過言ではない中学時代、思春期真っただ中の生徒達と共に過ごせたことは、私にとって人生の宝物の一つです。
齢三十にして名前や住まい、生活が変わり、すてきな(?!)伴侶を見つけることもできました。
御前様のちょうど半分の年齢で、還暦に向って折り返し地点を過ぎたところです。中学生へただただ一心に注いでいた気持ちを、心機一転、お檀家さんに、お寺に向けていく心持ちでおります。
すでに月経(つきぎょう)やお題日講にお邪魔したり、法事に出座したりしています。その際に御前様が紹介されると、みなさん異口同音に「これで安心です」「良い方が来なすった」と喜んで下さいます。その期待を裏切らないよう、期待に添えるよう、よりよい僧侶になるべく、日々邁進して行きます。
お檀家さんとの話の中で出身地(横須賀)の話になると、「よくこんな田舎に来て下さいましたね」「不便でしかたないでしょう」 と、よく言われます。
しかし、私が育ったのは、横須賀でもはじっこで、市内の人をして「それ、どこ?」と言わしめるところです。ですので、郵便局も役場(現支所)も金物屋さんも履き物屋さんも本屋さんも文房具屋さんも写真屋さんも酒屋さん、全て徒歩圏内にある法福寺の方が、むしろ便利なのです。
以上、とりとめのない文章になってしまいましたが、御挨拶かたがた自己紹介申し上げ、雑感を記します。どうぞ、よろしくお願いします。
…インタビュー…(副住職との一問一答)
問1:食生活
好き嫌いはありません。なんでもたべます。ただし、30歳を過ぎたので、栄養の摂りすぎにはならないよう、気をつけています。
問2:印象
お檀家さんは「皆いい人で、素朴で実直」と感じています。
寺泊町は「のどか」という印象です。
挨拶文にも書きましたが、法福寺周辺は「色々なお店があり、横須賀に住んでいた時よりも、むしろ便利になった」と感じています。
問3:動機
「お寺に育ち 佛様から御飯を頂戴している以上、いつかは お坊さんとして活動していかなければ」と思ったのは、小学校高学年の頃だったと思います。
問4:大変なこと
正座です。学校へ勤めていた頃は、ほとんど正座しませんでした。また、ここ数年で大分太ってしまい、とても難儀をしております。近頃の私的課題を「減量(できれば8kg)」とするほどです。
問5:抱負
人の集まる、気軽に来られる、「ここに来ると気持が和らぐ」「自分の骨をここに埋めたい」と思ってもらえる、そんなお寺にしたいです。
寺報『石蕗(つわぶき)』第6号より
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