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佛様の国
先日、山古志へウォーキングに行ってきました。山坂のあるところですが、住んでいる方々はそれに対して不満も感じていないようです。また、地元のお子さん達も素直で、とても清々しい気持ちでした。
かつてインドに行ったときのことです。夕食時、ある貧しいお宅では、かまどを大勢の家族が囲んで、食事ができあがるのを待っていました。私たち日本人から見ると懐かしく、かつては日本中どこででも見られた風景ですが、いまではすっかり見られなくなったようです。
さらに、佛の国と呼ばれるブータン。国民の多くが国王を尊敬し慕っており、みな国王のバッチを胸につけています。東日本大震災の際、多くの義援金を頂戴しました。経済的に裕福かと思いましたが、実際はそうでもないようです。山に囲まれ、隣町に行くにはその山を越えていかなければならないような状況です。そんな厳しい状況でも納得して幸せに暮らしております。お土産屋さんに行きますと、日本を含めた他国ですとすぐに店員さんが寄ってきてあれこれ薦めますが、この国では違いました。無欲とはこのような状態を言うのでしょう。
私たちも見ならう必要がありましょう。
インドのガンジス川。沐浴しているすぐ脇で火葬をしています。生きている人も死んだ人も一体となっている、それがガンジス川です。自然と一体になっているということは、佛様の国と言えましょう。ここに私たちが生きるヒントがあるのではないでしょうか。
文明社会では全てが便利です。ところが、便利故に幸せ…すなわち佛様の国…か、と問われると、どうやらそうでもないようです。
京セラや第二電電を創業した稲盛和夫さんは、「『働く』ということはどういうことか、考えなさい」と問われました。すなわち、「生活のため」もしくは「お金を稼ぐため」以外に『働く』ことに対して意義を見出しなさい、ということです。その答は、「自分自身の精神を磨くこと」だと稲盛さんと仰っています。ただ食べるためだけに働くと、楽して儲けたいと考え、労働無くして稼ごうと思うからです。それでは人間性は磨けません。
一つの仕事を一心に成し遂げた方…例えば宮大工さんなど…は、佛教を学ばずとも通ずるものがあります。一心に働くということは、佛の道に通じるのです。
『やき場とたんぼ』という相田みつをさんの詩があります。人の本質を知り、少しでも人のためにいいことをする、日々を真剣に取り組み自分を高める。そうすると、不平不満のない佛様の国にいると感じて生きていかれるのです。
日蓮聖人は、「法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし」(『守護国家論』)と仰っております。秋のお彼岸中日の今日、先ほどみなさんと一緒に法華経とお題目をお唱えしました。その場が、浄土=佛様の国=なんだと日蓮聖人は仰ったのです。浄土を他に求めても、そこには存在しないのです。法華経とお題目をお唱えするみなさんがいらっしゃるところが浄土なのです。
みなさんの穏やかなる心持ちが長く続くことを願い、本日の法話とさせて頂きます。
平成25(2013)年秋季彼岸会法話より
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