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 日蓮大聖人は、「『恩を知って、恩に報いなさい』こそが、数あるお釈迦様の教えの中で最も大切」と仰っております。たくさんお経を唱えることよりも恩を感じることが大切だ、と。

 お釈迦様の出家を、「王の地位をつぐ者が…しかも妻子を捨ててまで…出家をするなど、無責任窮まりない」と見る人がいます。もちろん、それは違います。修行の中で「心安らかに暮らすにはどうしたらよいか」を求め、伝えることが大事だと確信されたのです。

 「自分はこれから出家して人生の意義を極める。なぜ人は生きるのかを求める。得たものは、親、子、家来に伝える。出家は一時の親不孝ではあるが、親に本当の生きる意義を伝えることは親孝行である。人生の意味を伝えてこそ、本当の慈悲である。すなわち、修行は自分のためではない。親のため、子のため、家来のためである。」

 一見捨てるように見えるが、そうではなく、本当の道を示すことが釈尊出家の目的…恩返し…なのであります。

 人に世話になっているのだから、恩を知って恩に報いる、これが大事なのです。

 日蓮大聖人は、「仏の教えを習う者は、恩を知り、恩に報いなければならない。四恩を忘れてはならない。漫然と考えるのではなく、先ず、正しい教えを知り、伝えることが、恩に報いるということ。自分が知識を身につけることを目的とせず、人に教える。恩返しが大切」と、仰っております。

 最近、「おかげさまで」という言葉を聞かなくなりました。昔は、何かにつけて「良かったですね」と言えば、「おかげさまで」と答えたものです。あまりにもそんなやりとりが多いからか、「おかげさまで」と答えられると、「いえ、別に私は何もしていませんよ」と冗談を返すくらいでした(会場笑)。しかし、今は、とんと聞かなくなりました。それではいけません。恩を思い返して生きていくことが大事だ、というのが佛教です。

 ご承知の通り、私も長く保育園に関わってきましたが、昔、こんなことがありました。
 保育園の畑の雑草が、きれいに刈られていました。刈っただけでなく、草の始末までしてくれたのです。どなたがして下さったのか、ようやくわかり、お礼に伺いました。その方は、一言、こう仰いました。「ウチの子(お孫さん)を預かってくれたお礼です」と。確かに卒園児のいるご家庭でした。その子は、他の子よりちょっとだけ早い時間から預かっていたのです。 草刈りは何年も続き、最後は「年を取って足腰が悪くなり、草取りができなくなったので、今年で最後にさせて下さい」とご丁寧にも挨拶まで頂きました。最近は、そういうことはあまりありません。

 日蓮大聖人は、「お経を読んで得た知識ではなく、体で感得したことを伝える、これが布教である」と仰っております。「あの本にこう書いてあったから、こうしましょう」では伝わらないのです。また、難しい話しばかりもよくないようです。聞いているときは納得して下さるようですが、お寺を一歩出ると忘れてしまう。「今日の話は難しかった」と、私はよく言われますが(会場笑)。
 話しを戻しますが、体で感じたことを伝えてこそ伝わるのです。知識ばかりあっても体得していなければ救われないのです。もし、知識だけで救われるのならば、この世で一番救われているのは学者さんということになります。 もちろん、解釈も大事ですが、体で得たことを解釈してこそ、理解が深まるのです。

 人生長く生きてもたかだか100年です。その中でどう過ごすか、…やはり心安らかに過ごしたいのではありませんか。それには、「知恩報恩」が第一段階です。
平成24(2012)年お会式法話より

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