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お釈迦様の生涯

1.お誕生

 今から約1,500年前のインド、ヒマラヤ山の麓にカピラいう釈迦族の小さな王国がありました。王様を『浄飯王』といい、王妃を『摩耶夫人』といいました。この二人の間に生まれたのがお釈迦様です。生まれた所はルンビニー(現ネパール国)という花園でした。摩耶夫人はお釈迦様(シッダルタ)をお生みになった後、まもなく亡くなられ、摩耶夫人の妹がシッダルタを育てられました。浄飯王は、母のいないシッダルタを心配し、何不自由のない王宮生活となるよう心をくばりました。しかし、シッダルタは物質的快楽では心が満たされない為、物静かに思いめぐらすことをしだいに好むようになっていきました。


2.出家

 やがてシッダルタは、学問武芸ともに勝れた若者に成長。隣国の王女ヤショーダラ姫と結婚し、ラーフラという男の子が誕生しました。しかし、この幸せな状況の中にいても、シッダルタの心は晴れませんでした。
 ある時、家来を連れて王宮の東の門から外に出ると、年老いて衰えはてた老人に出会いました。次の日南の門から外出して病人に出会い、さらにその次の日西の門から外出して死人を運ぶ行列に出会い、だんだんと暗い気持ちになっていきました。
 そして4日目に北の門から外出した時、出家した修行僧に出会いました。この修行僧の姿に心を動かされ、「生・老・病・死」という人生の根本的な苦しみを解決する為、出家する決意を固めました。
 満月の夜、眠っている妃と息子に密かに別れを告げ、城を出ました。そして郊外の森に入り修行を始めました。この時シッダルタは29歳でした。


3.成道

 出家したシッダルタは森の中で断食をしたり、イバラの床に伏したり、薪を積んだ炎で身をあぶったり、呼吸を止めるなどの厳しい修行に励みました。こうした修行により手足は細くなり、背骨はうきあがり、肋骨は突き出し、瞳は深く落ちくぼんでしまいました。
 しかし、この修行からは悩みを解決する正い悟りを得ることが出来ませんでした。そこで苦行に対する疑問を持ち、6年間の苦行を止めて山をおりました。山を下り尼連禅河で身を清めた後、村娘スジャータから乳粥をもらい、体力の回復をはかりました。
 その後、近くの丘の上にある大きな菩提樹の木の下で瞑想に入りました。一心に人生の苦しみについて考え、7日目の12月8日の暁に至り、ついに悟りを得られました。時に35歳でした。この時から「お釈迦様」〔釈迦牟尼仏〕と呼ばれるようになりました。


4.初転法輪

 悟りを開かれたお釈迦様は、人生の真理をまず最初にかつて一緒に苦行に励んだ五人の仲間に説きました。教えを聞いた五人は直ちにお釈迦様の弟子となりまし。この最初の説法を「初転法輪」といいます。
 教えが広まるにつれて弟子も増え、お寺が建てられるようになりました。竹林精舎や祇園精舎が有名です。


5.涅槃

 お釈迦様は、この悟りを一人でも多くの人々に伝えるべく、45年間インド中を歩かれて教えを説かれました。
 80歳の時、旅の途中で病気になられ、クシナガラという村のサーラ樹の下でお休みになられました。病気はしだいに重くなり、ついに2月15日の夜、生涯を閉じられました。最後に弟子達に向かって次のように説かれました。
 『おのおの自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ。他を頼りとしてはならない。私の教えを灯火とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない』。と…。
寺報『石蕗(つわぶき)』創刊号より

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