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縁起
天平宝字元(757)年:このころ、越前国の泰澄大師が山頂に開創。法華堂(後に法華寺)と号す。
弘仁3(812)年:伝教大師最澄が当地を訪れ、天台宗に改宗。
文永8(1271)年10月:日蓮聖人佐渡配流。風がおさまるのを当地で一週間待たれる。その際、時の法華寺住職が日蓮聖人に会い、心服する。自ら請いて弟子となり日傳と改名。日蓮聖人を開山と仰ぎ法福寺の寺号を頂く。
文亀元(1501)年4月6日:火災。山頂より中腹(現在の地)に堂宇を移転。
永正7(1510)年:永正の乱で戦火を浴びる。
宝永3(1706)年:日蓮聖人が滞在された土地が石川家より寄進さる。
寛保2(1742)年8月:このころの村鑑に「祖師堂。長三間半、横三間半、法福寺境内に御座候」とある。
寛延4(1751)年4月27日:祖師堂類焼。
寛政8(1796)年6月4日:山崩れにより本堂損壊。
文化元(1804)年:このころ成立したと思われる風土記に、客殿、庫裡、番神堂、石鳥居、稲荷社、鐘楼、法華堂跡、(松食い虫の被害にあって切り倒された)松、薬医門などが法福寺にあった、と書かれている。
文政7(1825)年12月:良寛妹むら子(むら?)死去。当寺墓地へ埋葬。
慶応4(1868)年5月:水戸脱藩兵信夫善治(本名:水戸藩家老職、佐藤図書)死去。当寺墓地へ埋葬。
明治5(1872)年11月11日:類焼。堂宇が灰燼に帰す。
なお、日付は旧暦です。
本ページ作成に当たり、参考にした図書は、はじめにに紹介してあります。
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